予告された倒産の記録 その33

■ 免許剥奪リスク対策


 2009年元日。
 タソモト氏は、キクガワ氏が大きな太陽になった夢をみて、目を覚ました。体じゅうに嫌な汗をべっとりかいていた。


 ツミオ氏の悪夢は、もっとひどかった。
 データ通信ARPUアップ(向上)の海に溺れていた。アーップアップアップアップ…


 金を使わず、即刻データ通信ARPUを上げろ! 俺がほしいのは結果だけだ! というテラダ氏の命令。
 昨年秋から日増しにきつくなる罵倒まがいの催促に、上司のサンドバッグ人生を進んで受け入れたツミオ氏も、皮が破れ、中の砂がザーザーこぼれ落ちそうだった…


 テラダ氏の変化、というか悪化は側にいるせいか手に取るようにわかった。何をやってもうまくいかず、ついに上層部から干され始めた。
 遅すぎたくらいだ、と正直、ツミオ氏は思う。ツミオ氏だけではない。部下の信頼も、失いつつある。

 おそらく当人も肌で感じているのだろう。前以上にいらだちを隠さなくなった。かと思えば、急にやたら馴れ馴れしくなったり。気味が悪い
 …けれど気持ちはわからないでもない。ただ、テラダ氏の発言はどんどん、テラダ氏寄りのツミオ氏の耳にも、あまりにおかしく聞こえていた。

 これまでならさほど問題にしなかっただろう。が、会社がやばいという話もよくある噂レベルではなさそうだ。まだ妻には話してないが、最近、白髪が増えた、と言われた。

 テラダさんがこれ以上おかしくなりませんように。そして、八つ当たりが減りますように… 
 ツミオ氏は初詣で手を合わせた。



 WILLCOM悪夢は、現実の中にあった。
 2009年1月下旬、世間へ向けてその最初の兆候が示された。
WILLCOM CORE」っていうのは、実はあれ、次世代PHSのことだけじゃあないんですよ、みなさん


 …とな? ちょっとキクガワさん、それはなぞなぞか何かですかい?


 WILLCOM COREには3GやWiFiも含まれる。そう、たとえるなら「沖縄県外」に辺野古が含まれるようにね… え? 何のことかわからない? そりゃそうだ、だってもうひとつの未来のことだから



 沖縄県以外の、もうひとつの未来へ向け、ガス欠隠蔽列車がアクマの業で走り出す… 
 途中の主な停車駅は「社長辞任」「次世代PHS失敗」「事業再生ADR」。
 急カーブもございます、どうか皆様、振り落とされぬよう。
 最初の停車駅は、免許剥奪リスク対策ー、免許剥奪リスク対策ー。



 免許剥奪リスク対策その1 順調に見せかける。→ WILLCOM単独で「順調デス」と唱えるより、次世代PHSで他の企業とコラボしてる風に見せかけてPRするのが、より効果的。

 正月休み明けから、一部の次推室メンバは、他企業との「共同実験」作りに動き出した。それ自体は、一見、まともな動きのようにも見える。

 次世代PHSの試験サービス開始(4月)に合わせ、他企業と共同実験を行えば新サービスのPRになる。実験した企業とも親密な関係発展につながり、ビジネスの可能性が生まれる。そのための第一歩として共同実験。 …うん、いかにもな響きだ。


 実際、アサバラ氏は、そう考えていた。昨年始まったコスト削減施策3Rも、リーマンショックへの懸念か、もしくはリーマンショックを口実にした(会社内の)弱者締めつけくらいに考えた。まさか会社倒産のリスクとは思いもしない。次世代PHSも、結局はうまくいくはず。

 だってウィルコムは国や大物財界人をバックにつけた企業だから。最後にはつじつまを合わせるはず。その印象でアサバラ氏は、深く考えず見ザル聞カザルで過ごした。どうせ自分が気にしても、何ができるわけでもないし。


 上司は「共同実験だけできればいい」と言う。通常は実験→サービス化を将来的に想定するわけだが、次世代PHSの「将来」は幻の人参である可能性が高い。サービスに耐えられないインフラ。 …いや、いや! 考えるな! そんなことは俺の知ったことじゃないっ


 「共同実験だけできればいい。プレスリリース(世間へのPR)がゴール。
 サービス化は別の話」

 その上司の指示だけアサバラ氏は耳に入れた。



 ヒレバ氏もまた、次世代PHSの事業立上げを順調に見せかける「共同実験」作りに動く一人だ。
 ヒレバ氏は、威厳を装うための伊達メガネのブリッジを神経質そうにいじりながら、年上の部下のナガラ氏に言った。


 もし(次世代PHS立上げが)本当に順調なら、サービス開始前に共同実験作りなんてしない。インフラや端末や一般サービスの質を高めることに注力する。本来ならそっち方面でやることはいくらでもある。しかも、今回の「共同実験」は単なる実験だけ。実験ありきで、その目的は他の企業の看板w

 つまりウィルコムは他の企業の看板を利用して次世代PHSは順調だよと世間にアピールしたいわけ。ナガラさん、これは高いスキルが求められる仕事ですよ。調整や交渉の勉強ができるいい機会じゃないですか。私のやり方を見ながらね、しっかりと勉強して…


 ナガラ氏は思う。ヒレバさんは妙に得意そうだ。隠したり、ごまかしたり、そういうことがおそらく好きな性分。人を操って、コントロールしている気分が好きで、それを組織の要請でやる。気味悪く安っぽいが、そういうことで優越感に浸るタイプなのだろう…

 しかし、ヒレバさんは自分の直属上司。俺の評価(年収の額)は言ってみりゃこの人次第。
 はーーーっ………。神妙に頷く俺もまた情けないヒレバさんも、そんな話を俺にしないでくれたらいいのに


 MVNOパートナー開拓担当のヒレバ氏とナガラ氏がつきあいのある会社は、主にISPや通信事業者、メーカーだ。しかしこれらの会社は、ヒレバ氏が次世代PHSの魅力をアピールしても、いまいち反応が鈍かった。UQの進捗や情報開示と比べ、次世代PHSはどうも胡散臭く見えた。

 何かと情報が伝わりやすい近い業界の会社に、共同実験を持ちかけても難しそう。そこで候補に挙がるのが、かつて出資交渉には失敗したが、妙なパイプが細々と続いている会社。その一つに、鉄道会社から紹介のまた紹介で辿り着いた、クレジットカード会社の事業があった。

 かつて他社に「共同事業でもあれば」と言われたWILLCOM経営陣もそれが出資を断る常套句だと知りながら、アイデアを出せと次推室へ落ちてきた案件。紹介の紹介の、というか、たらい回しにされていたパイプが、おかしなところで役だった


 クレジットカード会社(大手)は加盟店のPRをすべく広告代理店と組み、デジタルサイネージ事業を考えていた。横浜で開国博Y150が4月に開催される。人が集まる。あのへんの駅の構内に大型ディスプレイを置くプラン。

 ディスプレイへ広告や情報コンテンツの配信を、当初は有線でやる予定だった。そこでウィルコムは次世代PHSを提案した。うちの新インフラなら大容量コンテンツを無線でさっと送れますよ。有線の工事もいらないし、ディスプレイを好きに移動させることもできますよ。

 ただ、4月の試験サービス開始時に横浜はエリア外なのですが、ご採用頂けるなら専用の基地局を建てましょう。費用負担なし。全部うちが持ちます。今だけのご奉仕大出血キャンペーン!!(とまではさすがに言わなかったが) どーですか?(至れり尽くせり、断る理由ないでしょ?)

 クレジットカード会社側にすれば確かにおいしい。ウィルコムをプロジェクト(PJ)へ入れる話は社内の斜め上の方から降ってきて、マストではないが、無下にもできない。端末も通信費も全部タダ。技術サポートも当然すると言う。では、このPJでウィルコムの目的は何なのか?

 目的は技術的な実証実験です! とヒレバ氏は言った。あと、もしできれば…プレスリリースのときなどに、次世代PHSのことを可能な範囲で結構ですのでアピールしていただければ… 

 まあそれくらいなら。PJのメンバ達は思った。まさか国の免許で行う次世代PHSのインフラや端末が、未だ運用できないレベルとは思いもしない
「試験サービス」という言葉が気になったが、ヒレバ氏は「実際は、エリア限定サービスのこと」と言った。我々は通信のプロですよ



 試験サービス。実際は、エリア限定サービス。
 してまたその実態は… 免許剥奪リスク対策でやらざるを得なかった、


 サービスという名の単なるモルモット的技術実験…  



 4月に試験サービス(エリア限定サービス)、10月に本格商用サービス。会社の体面を守るためスケジュール厳守だと言う経営陣。だが社内や協力会社の体制を何年も整えずに来た。上級管理職の現場リーダーは現実無視のスケジュールだと思う。が、保身が勝って経営陣に進言できない。

 経営陣にきちんと進言できないが、部下には言う。経営陣は現場がわかってない、と。部下達の思いは十人十色。とにかく自業自得の部分に蓋をして、スケジュールに沿って上っ面だけでもつじつまを合わせるしかない。みんなで力を合わせて頑張ろう、となる。ああ、お客様不在の酔狂。


 ブワウクを事実上形骸化させたアサバラ氏は、自分のせいじゃないと思いながらも挽回の観念に苛まれた。共同実験作りという命題を上司から与えられ、クロマロ氏がバス会社を紹介してくれた

 そのバス会社は、東京駅周辺の丸の内を巡回する無料バスを運営していた。丸の内なら試験サービス時に次世代PHSのエリア内。バスにWiFi/次世代PHSの変換ルータを置き、バス内でWiFiを使えるようにする。また、運転席付近にカメラを置き、次世代PHSで映像伝送を行う実験を提案した。

 クロマロ氏はいちおうバス会社の紹介をしたがすでに義理は果たしたという感じだったので、アサバラ氏は、またマシタ氏を誘おうとしたが、マシタ氏は次推室から離れていたし忙しそうだったので、タソモト氏に声をかけた。

 カメラで撮った映像を次世代PHSで伝送する。アサバラ氏の頭にあったのはそれだけだったが、それではバス会社のメリットがなく興味を示さないだろうと、タソモト氏はバス内のWiFi利用や、バスがどこを走っているかネットでわかる位置情報サービスの提案を加えた。

 丸の内の巡回バスが無料なのは、丸の内エリアの活性化を志向するNPOが各企業に支援を働きかけているため。よって、バスで実験をするにはそのNPOの承認が必要。アサバラ氏とタソモト氏はNPOへお願いをしに行った。すると、そこには美人のとても可愛らしい丸の内OLが

 丸の内OLの他に、壮年の男性もいたが、丸の内OLの正面に座ったアサバラ氏は、タソモト氏が実験について説明している間、うわの空だった。突然、アサバラ氏は話の腰を折るというか、何の脈絡もなしに言った。「いや、私は37才、独身ですから!」

 丸の内OL、びっくり。タソモト氏も、凍りついた。これは合コン、か? 空耳、か? カカカカカカカカカカカーーーーーー……… 
 気まずい間をおいて、ふふふ、と丸の内OLが笑って、それで済んだ。実験の許可も課題はあるものの前向きな方向で進んだ。とはいえ、勘弁してくれよ、とタソモト氏は思った。ハプニングは嫌いじゃないが、アサバラ氏のそれは、何やら不吉なものを含んでいるように感じられた。


 国や自治体の補助金獲得による地域連携を模索するヤシダ氏へも、共同実験作りの指示があった。2007年に山形県の田舎に高度化PHS基地局を設置した縁から、2008年に山形県と地域情報化、防災・災害対策、県産品PR分野での地域活性化包括連携協定を結んでいた。

 しかし、2009年1月の山形県知事選で、現職が敗れ、民主・社民支援の新知事が誕生したため、ウィルコムとの包括連携協定の行方、具体化はしばし様子見に。


 次推室のその他のメンバ→ サロ氏は、シモム氏の補佐をしながらタケミ氏の面倒を見たが、会社に長年いるからこその何でも屋的なサロ氏の業務は、新人に分担しづらい類のものばかり。また、アサバラ氏のせいで警戒心の強くなったタケミ氏をどうしたものか、持て余していた。


 サイジ氏とタヌダ氏は、ドコモMVNOサービスの運用業務を粛々と整備していた。次世代PHSの立上げセクションにいるものの、次世代PHSの運用業務整備はいつ再開できることになるのやら、あるいはもう、永遠にストップなのか… はあーーーっ……… 


 ウミナガ氏は、イベントやPR関連の業務がコスト削減でなくなったため、次世代PHSの技術検証部屋にこもり、機器のチューニングに勤しんだり、検証部屋の社内向け利用マニュアルを作ったり。


 あと… 名ばかり「兼務」のゴリセ氏は、1月下旬の新製品サービス発表会で「どこでもWi-Fi」をリリースすべく準備に追われていた。ゲーム機との親和性をPRすべく「任天堂公認!」とか言いたかったのだが、ナローバンドのPHS、魅力なきボディ等々の理由でふられていた。

どこでもWi-Fi」の企画初期段階から話を持ちかけていれば何とかなったかもしれないが、ごつい製品が出来上がってしまってから場当たり的に持ちかけても、そりゃあ当然… ムリです! いやいや、む〜り〜〜〜


 いやいや、む〜り〜〜〜、とココムラ氏とツヅキ氏は、感じざるを得なかった。ほんとムリ! アサバラさんと一緒に仕事をするのは、もう勘弁してもらいたいっ!! 


 いやいや、む〜り〜〜〜、と元次推室のマシタ氏も、京都の医療センタの休憩室で感じざるを得なかった。プレゼンを終え、会社のメールをチェックした。テラダ氏からのメールを読むと、つい削除しそうになった。勘弁してくれよ〜っ。なんだ、こりゃ?


 ココムラ氏とツヅキ氏は、アサバラ氏の相手が面倒だった。アサバラ氏の口癖「みんな死ねばいいのに」。アサバラ氏が言うと、どうにも粘着質で、笑えない。黒い影が迫ってくる感じ。ココムラ氏「…また、そんなこといって…」。ツヅキ氏「………」。

 かつてタケミ氏を悩ませた罰ゲーム的な席で、ツヅキ氏もまた、閉じた貝になった。その態度にアサバラ氏はいらだち、ココムラ氏へ当たり散らす。新人をもっときちんと教育しろ! と。よく言うよなー、単なる責任転嫁じゃないか、自分が死ねばいいのに、とココムラ氏は思う。


 入社三年目のココムラ氏にとって、ツヅキ氏は初めての後輩なのに、5才も年上の後輩で、遠慮がある。ツヅキ氏は英語が堪能のため入社早々に海外出張した。ココムラ氏は内勤ばかりで国内出張すら一度もない。スキルや適性だからしかたないと思いつつも、複雑な気持ち

 ココムラ氏はブワウクの庶務をツヅキ氏にやってもらいたいが、教えても思ったとおりの成果が出ない。二度手間になる。そういう業務にツヅキ氏は興味なさそうにも見える。帰国子女だからか性分か。一方、アサバラ氏は怒鳴る。何もわからず丸投げする。板挟みのココムラ氏… ぐうっ…

 シモム室長へ相談してもどうせ迷惑がられて相手にしてもらえない。逆に怒られるかもしれない。ココムラ氏は思う。…キツすぎる… 何で俺がこんな目にあわなきゃならないんだ… くそっくそっくそっ…


 くそったれ〜っ、と、つい叫びそうになったのは京都の医療センターで会社のメールをチェックしていたマシタ氏だ。上司のテラダ副本部長が、わざわざマシタ氏の出張日を狙うかのように、陰険なメールを送ってきた。マシタ氏が年末にサービス残業したことを何やら怒っているのだ。

 どう怒っていたか? 見ると、マシタ氏がオヒデGLの注意に従わなかった、とメールに書いてある。注意を無視して、残業した、と。

 たしかに、年末にマシタ氏は、残業するなとオヒデGLに言われた。が、プレゼン資料は作らなければならない。だから、サービス残業をした。会社で数時間やり、残りは自宅で資料を完成させた。

 急な仕事にもかかわらず「業務時間中にできないのが悪い」と言われてのサービス残業。あまりに悪質な言いがかりだったため、マシタ氏は、いくらコスト削減とはいえそういうやり方はマズイのではないか、と人事部へメールを出していた。その反響に、違いなかった。

 テラダ氏のメールには「(マシタ氏が)年末に残業したことは事実であり、会社としてサービス残業を許容できません。…12月に実施した作業時間どおりの残業時間を記載すること」とあった。たった数時間程度の残業代を是が非でもほしかったわけではないが、まあ普通の対応だろう。

 しかし、そこからがキ印じみていた。都合悪いことは「聞いてない」という例のテラダ戦法を持ち出して来た。医療センターへの提案話など聞いてない、承認してない。したがって、残業の内容はマシタ氏が勝手にやったことだ、というサービス残業をさせた責任逃れの屁理屈。

 サービス計画部内だけの案件なら、現場リーダーのテラダ氏は事実を曲げられる。が、京都の医療センターの件は、社内の医療部門の部長やキクガワ社長も承認していた。テラダ氏がいくらうそぶいたところで通るわけもない。テラダ氏のとぼけっぷりは、いつにも増して度を越していた。

 妙なことに巻き込まれた… マシタ氏はノートPCを閉じた。明日、会社へ行くのが憂鬱になった。マシタ氏は、窓の外の京都の晴れた空に向かって、どうかテラダさんがこれ以上おかしくなりませんように、と祈った。


(2010年6月1日〜8日分まで掲載)