予告された倒産の記録 その35

■ NSの嵐のような微風


 ようやく、サービス残業の面倒から解放されたマシタ氏は、1月中旬のAM会議に出席した。

 後に、WILLCOM NSとなる手帳型端末について、B&P部の担当者が説明していた…



 NSの担当者、B&P部のチジマ氏は、2008年12月中旬、部長のイシヤマ氏とともに、メーカーの東立から、NSの提案を受けた。


 提案といえば聞こえはいいが、東立の言い分はこうだ
 → NSの件では夏にしたキクガワ社長を交えたMtgで開発を進める合意を得た。その合意に従って我々は開発を進めてきた。すでに引くに引けないところまで来ているが、そろそろ商品化の最終決断をしてほしい。


 夏のMtgでNSの開発にキクガワ社長が合意した、WILLCOMから発売決定の前提で、というストーリー。
 しかし当の本人キクガワ氏に、「発売前提」まで合意した認識はなかった
 端末コンセプトも、どんな代物が出来上がるのか、夏には曖昧で、発売前提の合意などできるわけない。


 東立は、端末製造のコスト削減と販売数増大を目的としたグローバル展開に取り組み始めていた。簡単にいえば、材料をボリューム・ディスカウントで仕入れ、複数の端末で材料を共有し、各国の市場で販売するという戦略。

 ドコモ向けに高機能スマートフォンを企画した。そのスマートフォンは日本だけでなく海外市場でも売る。材料を大量に仕入れた。その材料の一部を使って、ウィルコム向けの端末を企画したい。コストが安く済みます。というのが夏頃の、東立の姿勢だった。


 夏のMtgにはイシヤマ氏もチジマ氏も同席していたが、2人は東立の作り上げたストーリーを受け入れた
 なぜなら、W-SIM普及の推進者である彼らもまた、W-SIM対応端末を一種類でも多く世に出したいと思っていたためだ。


 今では死語になりつつあるが、着脱型小型通信モジュールW-SIMは、「ユビキタス」をコンセプトにしていた。
 電話ではなくあらゆるものに通信機能を。
 それはそのまま、ウィルコムの企画端末のコンセプトでもあった。


 以前、フォロワーさんのコメントの中に、ウィルコムの端末はシンプルな顧客ニーズの王道を外してキワモノばかり、というのがあったが、それはこの辺のコンセプト執着に理由があるかもしれない。NSは、さしずめ、手帳に通信機能を、といったところだろうか。


 他社向けの端末と一部の材料が同じであるため、ウィルコム向け端末の最低製造台数が従来になく少なくていいというのも、イシヤマ氏チジマ氏には良かった。
 出しても売れないウィルコム端末。
 製造台数のコミットは常に大きな課題だ。



 NSは、手帳型端末。
 なにそれ? 
 → バインダー式の手帳に挟めるようゴムの外枠がついている。外枠から端末本体をはずし、手帳に挟まず単独で使うこともできる。


 何に使うの? 
 → ネットサーフィン、ブラウジング。画面が03やiPhoneよりも大きくて見やすい。ちょっと調べものをしたいときなどに適している。  


 回線がPHS(4x)で遅いけど? 
 → 2つのブラウザを用意した。「NetFront」と「jiglets」。「jiglets」を使えば、テキストデータなど先に取り込みながらストリーミングの感じで表示できる。それに「NetFront」も、そんなにストレスはない。


 何で手帳型なの? 
→ 40代以降の男性をターゲットにした。この年代はモバイルやデジタルに対して感覚的な距離がある。たいてい手帳を持っている。だから手帳に挟んだ親身な感じのモノで、タッチパネルで簡単操作できる端末を出せば、ニーズがある。


 ブラウザ以外の機能は?  
→ PDFを読める程度の機能はあるが、基本的にブラウジングだけに特化した。東立と何度も何度も何度も議論を重ねて、そのコンセプトが一番ということになった。


 どうして? 
→ 余計なもの、無駄なものはいらない!! ということ。


 利用シーンがいまいち浮かばないんだけど? 
 → だから手帳に挟んで使う。中年オヤジは本当はケータイの操作が苦手。だからタッチパネルの手帳型端末を使う。どう使うかは、あとはお客さんが自由に見つけてくれれば。



 東立の作り上げたストーリー、そして東立とイシヤマ氏チジマ氏による妙なコンセプト固めで出てきた手帳型端末のプランは、仕入れ台数たった3000台のテストマーケティング、という鎧をまとい、2009年1月中旬のAM会議で披露された。



 AM会議でチジマ氏がNSの説明をした後、キクガワ社長は言った。
「これは、売れるのか?」


 キクガワ氏にしてみれば、いつのまにか自分がゴーサインを出したことにさせられている。東立だけならまだしも、社内の人間(イシヤマ氏チジマ氏)までもが身勝手な理由でそのストーリーに便乗し、売れそうもない端末の発売を迫ってくる。

 そこで明確に「NO!」を意志表示したり、部下を教育できないキクガワ氏も悪いが、企業のトップとして、内心で部下に軽んじられ、面倒な事態が生じる、これほどの受難もないだろう。


 チジマ氏は答えた。
今回は東立さんのご協力で、初期ロット3000台が可能となりましたので、テストマーケティングの位置づけで考えております。



 3000台。
 今まで、通信キャリアが発売したモバイル端末で、たった3000台すら売れなかった前例が一度でもあっただろうか。
 どんなクソ端末でも、価格設定でよほど馬鹿なミスをしないかぎり、3000台くらい売り切れる。



 3000台。
 テストマーケティング
 企画担当者の自信のなさと甘えを露呈しているようなものだった。
 たぶんそんなに売れませんよ…でも、何か、何かあれば、バーンと売れるかもしれないw でも売れなくても3000台だから、ねえ、いいでしょ、キクちゃーん?



 売れそうもない端末の初期ロット3000台。そんなビジネスをやる意味があるのか。キクガワ氏は眉間の皺を深めた。「やるからには、少しでも売れるようにしないといかんだろ」


 キク 「前にも言ったはずだが、ニュースや電子書籍を簡単に見られるようにしたりとか、そういうサービスと端末をセットにしないと売れんぞ。その件はどうなったんだ?」
 チジマ 「はい。その、東立さんとも相談してますが、なかなか難しいようで…検討しています」


 部下から「検討している」と言われて、どう検討しているんだ? と掘り下げないキクガワ氏。
 呆れたような表情だけはしてみせる
 もういい、というような感じで、NSの件は終わった。



 ニュースや電子書籍、という言葉がキクガワ氏の口から出たのを、マシタ氏は聞いた。
 ウィルコムで電子新聞をやっている人間はマシタ氏以外にいない。「検討している」ということだが、NSの担当者(チジマ氏)から相談された覚えはなかった。


 AM会議の後、マシタ氏はチジマ氏に尋ねた。すると、検討などちっともしていなかった

「NSはブラウジングに特化したシンプルな端末だから余計なものは入れない」とチジマ氏は言ったw
 ひでーもんだw 仮にも社長である者の意見が「余計なもの」扱いする部下w  


 チジマ氏はコンテンツサービスを作ったことがなかった。
 どうやればいいかもわからない。苦手意識がある。できる人を探すのも面倒。
 自分でやりたい見栄だけはある。だから、自分にできることだけで済まそうとした…


 シンプルなブラウジング端末、とNSのコンセプトを決めたのも、市場の可能性より、自分にできそうな範囲でおさめた。
 コンセプトを決めると、なぜかそのコンセプトに合ったユーザーがいるように思えてくるから不思議。 
 そんな自己本位の妄想の中で、NSの開発は進められていた。



 しかし本当は、できるなら社長の注文にも応えたい。なので、NSでの電子新聞サービス作りに動いてみましょうかとマシタ氏が提案すると、イシヤマ氏チジマ氏は、それまで主張していたNSのコンセプトはどこへやら、ぜひやってくれと言ったのだった…


(2010年6月17日〜27日分まで掲載)