予告された倒産の記録 その3

■ D4事件 その1


 予定の発売日から延期に延期を重ねたWILLCOM D4。なぜ、いつの間にあんな使いにくい形になったのか。当初のコンセプトを知る社員は首を傾げた。D4は一部の社員による伏魔殿で、情報を他部署へ一切出さずに、開発が進められた。

 その秘密主義には、それなりの理由があった。以前、開発途中だったスマートフォンのデザインが社外へ流出したのである。

 流出は一体誰の仕業か。スマートフォンの開発メンバは身内の仕業とは考えなかった。他部署に敵がいる。とくに、営業の奴らは口が軽くて信用できない。こうなったら俺達だけでやろうぜ。やるしかない。

 かえって、好都合だった。そのほうが、情報管理という名目で秘密裏に進めたほうが面倒な社内調整をしなくて済む。営業の奴らは軽薄で無責任な文句を言うばかりで、作る側の苦労をちっともわかっちゃいない。

 端末の開発は俺たちプロに任せてほしい。俺たちはメンバ同士で、何回も、何時間も会議をして、「売れる端末」を作るために話し合っている。何度も何度も何度も何度も議論をし尽くして、現実的な回答をひねり出しているんだ。

 そうして水面下で開発が進められたD4のデザイン、仕様が社内で公開されたとき、営業や販売部門の担当者は、思わずあいた口を閉じるのを、しばし忘れた。

 なんだこれ? これが売れるのか……?

 D4の価格を知らされときは、呆れて笑い出してしまった者もいた。10万円を超えるだって? こんなものに誰が金を出すんだよ、売れるわけないだろう!?

 この端末は、はたして本当に実在したのだろうか? 今、振り返ってみても信じられない。社内でも、発売後しばらくとたたず、あたかも「なかった」かのように扱われた。「D4の売れ行きは?」禁句の質問。口に出すことさえ憚られた。

 D4。それはスーツの上着ポケットに入る。無理をすれば。分厚くてパンパン。しかも重い。500mlのペットボトル並み。筋トレ用? どこの筋肉の? 起動が遅い。遅すぎる! ウィンドウズビスタ。忍耐の訓練か? インテルATOM搭載。それがどーした… 鈍い…

 進化スピードの速いデジタル機器を、後から振り返って評価するのはフェアではないかもしれない。どうしても陳腐に見えてしまうからだ。失敗した(売れなかった)端末であれば尚更。当時、D4にはウィンドウズビスタAtomという最先端のOSとCPUが搭載されていた。

 最先端の技術! アキバ系オタクなら、その響きに打たれて10万円以上でも買うという戦略だったか。いや、技術は消極的な選択でしかなかった。マイクロソフトインテルは、新技術の実験場を探し、彼らの言いなりになる会社がウィルコムだったに過ぎなかった。

 携帯電話でも、パソコンでもないデジタル機器。携帯電話の機能を持ちながら、パソコンとしてもフルに使える端末。もはや言葉遊びだけの、マーケット不在。新しいマーケットも、なかった。

 極めつけは、小さすぎてタイピングのできないキーボード。ひょっとしたら、オプションで大人の手を小さくする薬でも開発するつもりだったか? すべてにおいて、中途半端。ただ一つだけ、中途半端ということについてだけは結果的に徹底している。

 社内では少数の伏魔殿で進めたにもかかわらず、多少の社内調整に躓き、社外でもほぼ他社の言いなり。まっとうな交渉不在の末に出来上がったD4は、お客様不在、誰のためのものでもなかった。

 しいて言うなら、D4企画メンバたちが、仕事をしていることを証明するために、何でもいいから形にすること、作ること、とにかく世に出してしまうこと。

 そうすれば一定の成果評価になる。出してしまえば、売るのは俺たちの役目じゃない。営業部門の役目なのだから…



※黒澤泉という人からフォローされて、すぐ取り消された模様。現ウィルコム執行役員の人と同姓同名だ。このフィクションが、少しでも真実に近づいていて、おそらくあるだろう組織の硬直や社員意識の更生に役立つといいのだけれど。

 少々脱線するが、「更生会社」になったことの、重みについて考えてみよう。


■ 「更生会社」になったことの重み


 銀行団に莫大な借金をチャラにしてもらった。そのお金があれば、どれだけの数の中小企業等が銀行の融資を受けられただろうか。
 社会に多大な迷惑をかけた。お客様の期待を裏切り続けた。総務省を欺いた。あるいは一部の総務省の役人と口裏合わせて国や社会を欺いた。

 何より、最大120億円もの税金を融資されることになった。返済できなければ出資と同じ。ドブに捨てたのと同じ。経営努力をしたが駄目だった、では済まされない。

 2000億円の負債、という理由ばかり目立つが、倒産したのは放漫経営が原因。借りた金で遊びまくった。一部の中間管理職がやりたいようにやりつくし、経営層がそれを野放しにした。

 大多数の社員の期待を裏切った。賃金をカットした。今度はリストラ。割増し退職金のコストは国民の血税でカバー。次の職がなければ社員とその家族の生活は苦しくなる。

 非管理職の社員たちに倒産の責任はどれくらいあるだろうか。中間管理職の暴走に従ったのは事実。だってそうしないと自分の身が危ない。上司に進言しようものなら左遷される。嫌がらせを受ける。サラリーマン社会とはそういうもの。

 中間管理職の暴走を止めるのは経営者の役目。その経営層が何もしないのだから仕方ない。社内は非常識なことばかり、名ばかり管理職サービス残業なんて当たり前、法律違反が常態化しているが、自分たちは無力だ。

 正しさ、まっとうさは子供のざれ言。無力さを受け入れて見ザル聞カザル言ワザルが大人の振る舞い。会社が傾く? そうかもね。でも知らない。ワタシニハワカリマセン。仕事中の大半は煙草スパスパ。世間話し。ここはそう、楽な職場なのだ。

 ノルマなし。重労働なし。やりがいなし。成長なし。プライドはまあまあ高い。というか、入り組んでいる。とにかく上司には絶対服従。成果で見返そうなんて思ってはいけない。

 だって、あのヤツルギさんさえ、更迭されたのだから!! この会社では。

 ヤツルギ氏の更迭事件は、ウィルコム社員の価値観に根深い影響を与えていた。ヤツルギ氏だけではない。十分な成果を出しながらも上司に進言した社員は陰湿な嫌がらせを受け、それが都市伝説ならぬ会社伝説となって社内に流布していた。

 ○○という話があってな、いいか、お前もあまり目立つとXXXXさんのようになるぞ。先輩社員はある種の親切心か、または別の何かで、若手社員へ話すのだった。

 非管理職の社員たちに倒産の責任はどれくらいあるだろうか。知らなかったこと、知ろうとしなかったことは、どれほどの責任になるだろうか。1000人中、250人といわれるリストラはどうなるだろうか。

 もし、上(経営層)から順に切っていくなら、部長級+課長級あたりで、250名くらいにはなるだろう。少数の優秀な部長と課長だけを残し、会社を再建する。それにしても、部長級はともかく、多数の課長級は名ばかりで非管理職のようなものだから、とんだとばっちりだろう。

 一部の優秀な中間管理職。個人的に、この人はそうかもしれない、と思っているのは、3名ほどだが… 

 上から順に切っていく、というのは、もちろん、経営層も含んでのこと。というか、今の執行役員たちは、更生法申請・適用時に退任を免れていたけれど、昨年の夏までは取締役(退任対象)だった人たちなんだよなあ。

 2兆円の借金をしたソフトバンクは元気いっぱい。数年後に完済する。そういう会社には、銀行団も融資を続ける。リファイナンスに応じる。つまり問題は、借金の額ではなく、普段の業績。業績を出すにあたっての組織のあり方。

 もし純粋に全社員に対して早期退職募集をかけるなら、割増退職金の額、会社の将来性を各自で考慮し自己責任で行動するのはいいが、そこに不本意な退職勧奨の圧力があった場合、非管理職は結果として放漫経営の犠牲になる、のだろうか。

 割増退職金。ソニー54カ月。2007年のJAL40カ月(管理職対象)、今回のJAL6カ月。大手百貨店は定員オーバーの応募らしいが、皆どこへ行くのだろう。景気がよくなるまでじっとしている?

 いずれにしても、若手とはいえない非管理職や名ばかりの管理職が、放漫経営の犠牲となって辞めざるを得なくなったら、その社員と家族の生活がそれゆえに苦しくなり、犯罪に手を染めたら、そこに経営者(及び上級管理職)の責任はないと言い切れるだろうか。

 仕事は、生活の糧を得るためだけではなく、社会でまっとうに生きようとする精神を支えるものでもある。整理解雇の増加は、言うまでもなく社会状況を危くし、結果的にせよ犯罪の温床を多数生みだす。整理解雇され、精神のバランスを崩した元社員が、生活のために犯罪を犯したら、元社員は、同情の余地こそあれ自己責任として罰を受ければいいだろう。しかし、その犯罪の犠牲者は? 放漫経営の狂った歯車は、無関係の犠牲者を生みだす。そういう社会状況を作り出す。負の連鎖はなかなか断ち切れない。

 そういう重大な負の種を生み出したことこそが、ウィルコムの経営層・上級管理者の責任ではないだろうか。ウィルコムが更生会社となったことの重みではないだろうか。

 その重みを、更生会社ウィルコムにはしっかりと受け止めてもらいたい。最善の努力を積み重ねた結果ならば、仕方ない。しかし、自らの責任逃れのために「最善の努力をした」とうそぶくなら、それはよろしくない。現場の社員はよーく知っている。

 それが、ビジネスセンスの欠片もない現場リーダーの暴走と、無力感と保身のぬるま湯にぬくぬくと浸りきった部下の、到底、仕事とはいえないママゴトであったことを。

 国の許認可事業である通信業界は、えてしてぬるま湯になりがちである。医療等と違い、お客様志向を徹底せずとも、人が死んだりするような直接的な重大事件にはならない。

 だから、会社の建物の中にこもり、目に見えないお客様より、目に見える上司、同僚との摩擦を避け、目に見える範囲内だけでの利害関係をつい優先させてしまう。変なことを言おうものなら、融通のきかない奴、とレッテルされてしまう。

 かつて、パロマ三菱ふそうは、組織的に、結果的に、殺人を犯した。暴走するトップの指示を、部下たちは忠実にこなした。大の大人が集まって、その指示をおかしいと誰も思わなかったか? 進言するものは飛ばされたか? 自分に責任はないと思ったか? 従えばおいしい何かが待っていたか?
 それが、大人のサラリーマン、か?

 雪印等の食品偽装も同じ。慣習の力にはなかなか抗えない。所詮自分はサラリーマン。無力さに慣れてしまえば、心の葛藤はなくなり楽になる。

 無力さを自覚することは大切。しかし、無力感のぬるま湯にぬくぬくとしているのは、いわゆる前時代的なサラリーマン気質。その気質が、間接的に、結果的に、人を殺すという事実が表面化したのが、パロマ三菱ふそうの事件だった。

 幸い、WILLCOM D4が、何らかの殺人につながったという話は聞かない。が、今回の倒産には、いかばかりの影響を及ぼしたか…

 
(2010年3月16日〜17日分まで掲載)