予告された倒産の記録 その5

■ D4事件 その3


 社長がD4に不満を持っている!
 テラダ氏は、D4企画メンバのグループリーダー(GL)である部下のスミジ氏と共に、キクガワ社長へ個別説明をすることにした。AM会議の前に行わなければならなかった。

 それで何かサービスはできたのか? と尋ねたキクガワ氏に対し、テラダ氏は、スミジ氏に目配せをした。スミジ氏は説明を始めた。「あらためましてD4のコンセプトをご説明させて頂きますと…」。キクガワ「あらためては今更いい」。スミジ「は?」

 キク  「そんなことはわかってる。だからサービスはできたのか?
 テラダ 「アプリケーションのことですね?」
 キク  「何だっていい」


 スミジ 「D4は、この端末自体が、アプリケーションなんです!」

 スミジ氏は一気にまくしたてた。「D4は携帯電話のモバイル性に加え、パソコンとしてフル活用できる端末です。従いまして世の中に溢れているあらゆるアプリケーションをこの端末ですでに使うことが可能です。つまりわざわざこちらで用意しなくても、ユーザーが自分で好きなアプリを 使うことができ、最先端のウィンドウズビスタインテルAtomでどんなアプリも動作するように設計しました。ですので、つまりD4自体が、新しい時代のアプリケーションというわけです!

 キクガワ氏は混乱した。何のことかわからなかった。しかし、D4の発売を今更止めるという選択肢はなかった。ウィルコムは他の通信キャリアと比べ、アピールできる端末数が圧倒的に少ない。せっかくの機会を減らすわけにはいかない。

 テラダ氏が言った。「チカ副社長にもご満足頂いています」。いつもの流れだった。チカ氏の顔を立ててやろうと思うキクガワ氏。どうせ出さなければならないのだ。ひょっとしたら、俺の知らないところで、ヒットするかもしれない。やってみれば。


 仕入れ台数の話があった。数万台。
 キクガワ 「数万台というのは具体的に何台なんだ?」
 スミジ  「まだ交渉中の段階ですが、おそらく先方は5万くらいを想定しています」
 キク   「仕入れ原価は?」
 スミジ  「10万弱…かと。もっと安くなるかもしれませんが…」
 仕入れ原価が曖昧? いちいち奇妙な話だった。社長の自分に何か隠し事をしているのか。
 それよりも、10万円×5万台=50億円の投資 …キクガワ氏の意識はそこへ釘付けになった。


 …結果を先に明かせば、ウィルコム仕入れ台数は1万台で済んだ。D4は発売後に通称「おもらし」のバッテリー欠陥が見つかったこと、その他諸事情含めたメーカーとの交渉努力により1万台になった。が、これは社内の噂に過ぎなかった。

「三つの頭」のうちキクガワ、チカの2人の了解があれば、残る1人のツチハシ氏も2人の顔を立てないわけにいかない。販売のトップ責任者はツチハシ氏だが、しぶしぶ2人の顔を立てたという体裁さえ整えば、たとえ売れずとも自己責任にはならない

 売れなかった時の言い訳。「だからサービスを作れといっただろう」「だから事前にちゃんと相談しろといっただろう」。相手の顔を立てる、ということは、事前にビジネスとしてきっちり詰めないことによって、後で各自の言い逃れを担保するための方便であった。
 健全な議論の不在。ウィルコムを更生会社に追い込んだ、致命的な欠点。


 そうして水面下の下ごしらえの後AM会議で承認されたD4は発売され、キクガワ氏は社の代表の義務としてD4の魅力をアピールしながらも、これが金融機関の出資融資リファイナンス交渉のための良い材料の一つになればいいと、淡い夢のような願いを込めずにはいられなかった。



 言うまでもないが、D4は惨敗した。もともと商品に競争力(魅力)がないのに加え、電源OFF時でもバッテリーを消耗する、通称「おもらし」の欠陥等…当たり前の交渉、プロセス確認、検証さえしていれば回避できたようなトラブルに、トドメを刺された


 発売後、2カ月とたたず、社内でD4はまるで「なかった」ことのように扱われた。臭いものには蓋をする。その風潮が、社内環境を悪化させ、良い仕事をできなくさせていると感じていた一部の若手社員の中には、あえて発言する者もいた。

「そういえばD4の売れ行きはどうなんだろう?」

 すると、上司や先輩社員は、あわてて、口に人差し指を当て、大人が子供をたしなめるかのように、言うのだった。

 しっ!!声が大きい…


 D4の発売前、スミジ氏は、販売部門の不評やクレームを、上司のテラダ氏へ伝えると、テラダ氏は大きな声で言い放った。それは、彼の口癖だった。

 気にすんな。どうせ、あいつらはビジネスのことを何もわかっちゃいないんだから!!


 D4の大失敗は、大抵の大失敗には慣れっこで、もはや痛みの感覚が麻痺しつつあったウィルコムに、痛みが何たるかを思い出させるほどの惨事だった。

 一体何をやらかしてくれたんだ… 社員達はひそひそと話した。「三つの頭」が承認した以上、D4への批判は、会社批判になってしまう。

 誰かが責任をとらなければならないが、誰が、どうやったところで、責任をとれるような程度の惨事ではなかった。結果、責任問題にはならなかった。というのは、誰も、誰かを問い詰めなかったということである。

 なぜ、経営陣は、テラダ副本部長に責任をとらせないのか? チカ副社長の庇護もあるだろう。しかしそれにしても。社員達はひそひそ話した。きっと、あれだ、ヤツルギさんの件が影響しているんじゃないか?

 かつてヤツルギ前社長を更迭した、今の経営陣。その後ろ暗い傷が弱みとなって、部下にすら強く出られなくなっているのではないか。しっぺ返しをくらうかもしれないから。社員達はひそひそ話した。自業自得。因果応報。ヤツルギ氏の呪い。祟り。まるで八墓村…

 ヤツルギ氏、一般社員に好かれていたが、まるで亡霊扱い。さんざんな言われようである…


 D4の発売日2008年7月11日ウィルコムが倒産し、会社更生手続開始決定がされるまで、あと、609日…


 D4発売の数ヵ月後、D4企画グループリーダー(課長級)だったスミジ氏は、サービス開発本部内に新設されたデータ通信企画室の室長に、昇進した…


(2010年3月20日〜21日分まで掲載)