予告された倒産の記録 その6

■ 次世代事業推進室


 D4発売の3カ月前の2008年4月。
 ナローバンドのPHSに代わる、ウィルコムの将来を担うワイヤレス・ブロードバンド「次世代PHS」事業の立上げを推進するため、次世代事業推進室が、サービス開発本部内に新設された。

 当初のメンバは、室長以下、課長3名、一般社員3名の計7名。室長のシモム氏は、電波行政対応、国際標準化対応等のウィルコム窓口業務を担当しており、2.5GHz帯の免許取得の貢献により、室長へ抜擢された。

 ウィルコムが2.5GHz帯のBWA免許を勝ち得たのは、総務省の有力者にPHS推進派がいたからだが、それでも大義名分は必要で、次世代PHS技術がITU会議で国際標準化されたことが後押しになった。 

 ITU(国際電気通信連合)は複数のグループに分かれており、3G系技術グループとPHSグループは別だった。3G系は例えるなら大型恐竜がわんさかいて互いにがなり合っていたが、一方、PHSグループはほとんどウィルコムしかプレーヤーがいなかった。

 恐竜たちの喧嘩を横目に、閑古鳥の別グループでちゃっちゃと書類を提出した次世代PHSはみごと国際標準として勧告。それがシモム氏の成果だった。

 うまいことやったと揶揄されもしたが、ITU会議でPHS系が3G等の他の無線技術と一緒にされず、単独でグループが設けられたのも、それまでの各種団体における国際標準化活動の長く地道な努力の賜物、という見方もできた。

 技術は「国際標準」というお墨付きができた。後はインフラ整備と事業継続の体力安定した財務基盤)に問題なければ、鬼に金棒だ!



 鬼は、ないはずの金棒を、どうやって見せかけたのか… 
 紙を丸めてそれらしく色を塗ったか? 
 はりぼての金棒を振り回しつづけて…



 各種団体の国際会議に出席する仕事にはもれなく ☆海外出張☆ がついてくる。1回につき長ければ2週間。異動して次世代事業推進室長となったシモム氏は、その仕事を後任者へ引き継がず、そのまま持ってきてしまった。高度な人脈が必要なこの仕事は自分にしかできない☆、という感じで。

 それじゃあいつまでたっても人が育たないし、新しい仕事にも集中できない。しかし、そんな身勝手な振る舞いがまかりとおるのもウィルコムの不思議な世界☆☆☆。

 シモム室長の 長期☆ 海外☆ 出張☆。後々まで、シモム氏は次世代PHS事業がどのような局面にあっても、海外出張を優先させた。本当に仕事してる? 必要なこと? 他の人じゃダメ? 頼むから元の部署に引き継いでほしい、と部下たちは思った…


 次世代事業推進室(次推室)は、社長直轄のセクションだ。
 なのに、サービス開発本部内に置かれ、シモム室長と社長の間には、テラダ副本部長とクロサワ本部長がおり、不明瞭な位置づけだった。
 次推室設立キックオフで、メンバ達は、社長直轄パワーで、高級寿司をごちそうになった。


 次世代PHSは、ウィルコムを万年4位から脱出させ、ソフトバンクを抜いて3位になる可能性を十分に秘めた事業だと私は信じている。その成否は君たちの頑張り次第だ。ウィルコムの未来は君たちの肩にかかっている!! 
 キクガワ氏は熱く、希望に溢れていた。


 ウィルコムの大株主のカーライルもまた、株を取得してから4年目を迎えていた。通常3〜5年程度で売り抜けるのがセオリー。今年中に上場→来年に次世代PHS事業開始→高値で売り抜ける。鼻息が荒かった。

 それにしても、カーライルが買ったウィルコム株は、60%で2200億円。ということは、ウィルコム株100%の企業価値3700億円程。それが今や、3億円の会社になるとは…


 ある日、シモム室長が会議室へ入ると、カーライルの面々、キクガワ社長、テラダ副本部長と、初見の男が待っていた。キクガワ氏は男を紹介した。
「バキンゼのスズキさんだ。次世代PHSを手伝ってもらうことになった」

 バキンゼファーム社。世界有数の経営戦略コンサルティング会社である。

(若い)
 紹介された男を見たときの、シモム氏の第一印象だった。40才の俺も年寄りじゃないが、この男は30代前半かせいぜい半ばくらいだ。バキンゼのシニアコンサルタント

 名刺交換をした。バキンゼのスズキ氏の態度には、違和感があった。顎を突き出し、やたらとがでかい。虚勢を張っているよう。若造。が、何といってもバキンゼだ。優秀なのだろう。

 ウィルコムはバキンゼと懇意というわけではなかった。バキンゼだけでなく戦略ファームと仕事をした経験など、少なくともシモム氏には、なかった。
 目が飛び出るほどの高額なコンサルティング料を払って仕事をする風習もなければ、「戦略戦術」という言葉も、社内ではまず聞かない

 カーライルの上層部に、バキンゼの出身者がいた。そのつながりだった。シモム氏は思った。コンサル料は幾らなのだろう。1人あたり、ひと月で1000万円とも聞く。シモム氏は軽く唇をかんだ。

 実は、最初、社長の指示で次世代PHSの計画をシモムは描いたのだが、カーライルに説明するとボコボコにされた。使い物にならない。それで、バキンゼを雇ったのだ。自分へのマイナス評価に等しい。これからというときに、いきなり躓いた。

我々は!」とバキンゼのスズキは会議室中に響く声を発した。「我々は、共に、次世代PHS事業を成功へ導く仲間です。我々にはその義務があります」
 我々? 奇妙な言い方に感じた。会社の壁を取り払おうという目的の言葉遣いだろうか。ワレワレハ

 引き摺っては損だ。シモム氏はすぐに頭を切り替えた。「どうぞ宜しくお願いします」
 諸々の打ち合わせ後、会議室を出るときに、ふと、クロサワ本部長がそこにいなかったことに気づいた。
 いつものことだ。きっと他の打ち合わせや用事ではないだろう…



【言葉】 狭い了見でしかモノを考えられないくせに、自分が一番正しいと思い込んでる!(吉田東洋)−−3/21放送『龍馬伝』。土佐弁割愛。。 

 多角性、多視点性、リスク分散、ポートフォリオ、或いはパースペクティブ的展望… キクガワ社長がそれを考えていたかどうか、バキンゼを雇った後、しばらくして、彼は次世代PHSの戦略業務を、別のコンサルタントへも依頼する。

 極めて、個人的な依頼だった。いつのまにか社長が誰かを雇ったという感じシンクタンク出身で自分の会社を立ち上げて間もないそのコンサルタントは、ウィルコムでの経験を糧にし、後に、ITジャーナリストとしても活躍するようになる、クロマロ氏だった。

 クロマロ氏を、キクガワ社長に引き合わせたのは、大手広告代理店のタナカ氏。タナカ氏はウィルコムに出入りし、キクガワ社長の信頼を得ていた。大手広告代理店…

【会社説明】『電王堂』…大手広告代理店。タナカ氏勤務。特命係長の只野仁がいるとも噂されるが、それはこのツイートとは別の話…

 電王堂のタナカ氏、ITコンサルタントのクロマロ氏を両脇に従えたキクガワ社長(ニセ水戸黄門風というより、ヤッターマンドロンボー一味風)は、やがて、次世代PHSのインフラを前提とした、『BWAユビキタスカメラネットワーク研究会』というコンソーシアムを設立する。

 研究会は事業会社化を目指しており、キクガワさんの天下り先だ、というのが社内のもっぱらの噂だった。くちさがない社員の中には、タナカ氏とクロマロ氏を、ウィルコム寄生虫呼ばわりする者も、いた。が、それは少し先の話。


 シモム室長は、最初のミーティング(Mtg)から、遥か年下のバキンゼのスズキ氏に、圧倒されていた。


(2010年3月22日〜23日分まで掲載)