予告された倒産の記録 その7

■ バキンゼMtg


 シモム氏は自席で腕を組んでいた。
 机の上の分厚い資料を冷ややかに眺めた。バキンゼがMtgで出してきた資料。なぜか、すべて英語で書かれていたのである。

 高学歴エリートのシモム氏は、英語ができないわけではなかったが、日常会話レベルに毛が生えた程度だった。なぜ、英語なのか? 尋ねると、バキンゼのスズキ氏は、「翻訳の時間がなかったんです。今、部下が翻訳中です」などと、平然と言うのだった。

 まるで、英語で何か問題でも? こちらはグローバル企業なんですよ、と言われたような、そんなスズキ氏の表情に、シモム氏はちっぽけなプライドが邪魔をして、それ以上問いただせなかった。
 しかし、ウィルコムのような日本企業相手に英語の資料を持ってくるとは… 小馬鹿にしているのか?


 2週間後のMtgでも、翻訳は未完成だった。英語の資料も大雑把な記述のみで、戦略の具体的な検討ができる代物ではない。「次回までには間に合わせます」とスズキ氏。時間ばかりが過ぎていく。バキンゼとの契約はたった3カ月だ。


 不毛なMtgを終えて自席へ戻ると、テラダ副本部長に呼ばれた。
 戦略プランの進捗はどうだ? 何で報告に来ない? 何だこの英語の資料は? 馬鹿かてめえは! ここは日本だ! 時間を無駄にするな。バキンゼの連中に幾ら払っていると思ってるんだ!

 バキンゼを使いこなして社長やカーライルが納得する戦略プランを練り上げる事。
 それがシモム氏の役目だった。このままではまたマイナス評価になってしまう。バキンゼの対応は常識外れに思えたが、一方で、名前の権威に委縮してもいた。
 シモム氏は、青ざめていた…



 バキンゼMtgの出席者はシモム氏一人ではなく、次推室の3名の部下もいた。MVNOパートナー開拓担当の課長と、バキンゼの要求に従って社内の各種情報を作成提出する社員が2名。

【用語解説】『MVNO』…非通信事業者が、通信事業者から回線を借り受け、独自の値決めやサービスで通信事業者の様なビジネスをする事業形態。2.5GHz帯域のBWA事業にはMVNOの実現が義務付けられていた。

 コンサルタントは、所属会社とは無関係に、個人の力量次第、当たり外れの差が激しい。
 バキンゼのスズキ氏は外れも大外れ。通信業界への無知をごまかすため深い議論に入らないまま契約終了まで引き延ばす。成果物がどんなものであれ、コンサル料は出来高契約じゃないから痛手はない。

 なぜ、通信業界の専門家ではないスズキ氏だったのか。おそらく、ウィルコムは本当に舐められていたのだろう。たまたま都合つく人材が、スズキ氏だったのかもしれない。

 なんせウィルコムは… バキンゼが出来損ないの(しかも英語の)資料を出しても、何ら本気の議論をふっかけて来ない。バキンゼのビッグネームに委縮している。楽な相手。金さえ貰えるなら労働の手間はなるべく省くほうがいい。大金を払っているくせに、受身なだけの甘ったれた典型的な日本の会社だ。

 最小の労働で最大の報酬を。スズキ氏の魂胆は明白だが、それに対抗できない次推室メンバの経験不足も明らかだった。スズキ氏が美人のアシスタントを同伴すると、室長課長以外の独身社員2人は、会議中無言でアシスタントの顔ばかり眺めた。どうせ、意見を言うのは室長の役目だし。

 大手戦略ファームのバキンゼ出身者は多方面の業界上層部にいた。その人脈でコンサルの仕事を受注し、大金を頂く。中身なんか大したことない。それがやつらのやり方なんですよ。と、後になって言ったのはクロマロ氏だが、その点はウィルコム社員を納得させる指摘だった。



 新事業の戦略プラン策定。自分には荷が重い仕事であることを、シモム氏は自覚していた。国の役人や上司の顔色を窺ったり、指示された資料を体裁よくまとめるのは得意だが、リーダーが苦手とは口が裂けても言えない。出世には致命的だ。

 不毛なバキンゼMtgの後、シモム氏は暗かった。Mtg出席者の一人、経営陣の社外プレゼン資料作成等を担当し次推室メンバとなったサロ氏は、「くそ、バキンゼに主導権を握られてる。あの美人アシスタントのせいだ!」と冗談を言うのだった。

 場を和ませるだけでなく、暗にシモム氏を励まし、頑張って下さいとハッパをかけるための台詞だった。次推室の中で、シモム氏とサロ氏以外は、年月の差こそあれ、皆、転職組だ。見た目は暗いが風変わりな30代半ば独身のサロ氏は、出世欲もなさそうで、シモム氏を安心させた。

 一方、テラダ副本部長は、部下のシモム室長を警戒していた。次世代PHSの舵取り役に抜擢された高学歴エリート。活躍され過ぎたら困る。しかし今のところ、バキンゼとのやりとりがうまくいってないらしい… しばらく様子をみるか… 自分は自分でD4や03端末の件で忙しかった。


 バキンゼの資料によれば、次世代PHSを脅かす競合相手として、言うまでもなくWiMAX、数年後のLTEが挙がっていた。当時、速度100Mbpsとも噂されたLTEがいつから始まるか。それによって、次世代PHSの加入者増の予想グラフラインが変わる、というわけだ。

 次推室の中で、その見方に異を唱える者がいた。LTEは始まらない。あれは噂だけの嘘っぱちの技術だ。だからLTEのことを考える必要はない。技術マーケティングやPR、イベント企画を担当するウミナガ氏はそう主張した。

 確かに、当時のLTEは黒船的な扱いだった。2.5GHz帯のBWAサービスにアンチな連中が担ぎ上げた得体の知れない脅威。本当にそんなすごい大砲なのか? と思う反面、大企業連合による国際標準化のLTEが嘘とは、楽観視できない。

 ウミナガ氏は、ひょっとしたら100Mbpsと噂された速度を、嘘だそれほどじゃないと言いたかったのかもしれない。しかし、バキンゼMtgで彼がLTEを否定した時、出席者達は皆、思考停止した。技術的な根拠説明をされたところで真偽の判断はできようはずもない。

 何を言ってるんだこの人は? 世間はこんなにLTEを取り上げているのに。最悪のケースを想定する意味でもLTEは考慮すべき。シモム氏は思った。ウミナガさんは技術に詳しいが、少しイデオロギーがある(偏っているところがある)からな。

 ウミナガ氏の主張は、内容はどうあれ、戦略についてウィルコム側から積極的にした初めての発言であった。しかし、次回のバキンゼMtgから、シモム氏はウミナガ氏を呼ばなくなった。またLTE検討不要論を持ち出されると面倒だった。面倒であればMtgから外せばよかった。


 バキンゼMtgに出なくていいとは言われない。ただ、声をかけられないだけ。シモム氏は他の出席者に呼びかける。ウミナガ氏から目をそらせる。空気読め、と言われているよう。大人ならば、黙って自席に座っていろ。他の出席者達も気づかないふりして会議室へ。ウミナガ氏、強張って動けず。

 そしらぬふりでMtgへ出る真似は、昔ならともかく40代半ばの今はしづらい。年下の上司シモム氏に呆れられ、「出なくていい」と言われるだけ。陰険なやり方だが、この会社ではよくある事。こっちも後で気づかなかったふりをすればいい。ウミナガ氏は思う。あれ、そういえばMtgでしたっけ? と。

 次世代PHS事業の立上げを担う新設の次推室は、花形の部署だ。社長直轄。高級寿司の待遇はダテじゃない。ウミナガ氏はやる気に満ちていた。有名バキンゼとのMtgウィルコムの頭脳となって戦略策定から関われる。表には出さなかったが、そういう仕事にあこがれていた。手足じゃない仕事。

 正直、俺のような仕事をできる奴はウィルコムにいない。だからここ(次推室)へ呼ばれた。LTE検討不要論は、やはり難しすぎたか。少々刺激が強すぎたんだろう。言い方を考えるべきだった。俺もまだまだ未熟。そういうことにしよう。ここで上司に目くじら立てても得することはない。


 シモム室長は早くから部下との対話不足を生み出していた。
 サロ氏のような無害そうな部下とはよく話すが、少しでも意見を言う者、シモム氏のものさしで出しゃばっているように感じられる者は、すぐに遠ざけるのだった。


 次推室の中で、バキンゼMtgに呼ばれず自席にいる者は、ウミナガ氏の他、2名いた。一人はウミナガ氏と同年代で東北支社から単身赴任で来たヤシダ課長。もう一人はブランド&プロダクト部(B&P部)と兼務の、30代半ばのゴリセ氏。皆、暇そうというか、手持無沙汰な感じだった。

 東北で家族といることを優先し、本社への転勤話を何度も断っていたヤシダ課長は、社の命運がかかる次世代PHSだから受けた。ゴリセ氏は、やる気はあるにはあったが、B&P部にいた彼は、サービス開発本部内のアンチ次世代PHSの雰囲気も感じ取っていた。

 ゴリセ氏は、後に、あのごつい、「どこでもWi-Fi」を世に送り出す。


(2010年3月23日〜25日分まで掲載)