予告された倒産の記録 その9
■ バキンゼMtg その2
次世代PHSの戦略プラン作りは、契約期間の時間切れを狙うスズキ氏の目論みに対抗できないまま、上っ面のやりとりに終始させられていた。
シモム室長は変だと感じながらも、それが有名大手コンサルの仕事ならば、へたな口出しは失礼になると、戸惑っていた。恥だけはかきたくない。
「LTEがいつから始まるか?」バキンゼのスズキ氏は、いつもとっておきの何かをいよいよ披露するように話す。
「それが最大の問題です。2012年、早ければ2011年中には必ず始まります」
一息おいて、つけ加える。
「バキンゼOBのあらゆる人脈を駆使して調べましたので、極めて確かな情報です!」
LTEの開始が遅いほど、次世代PHSには有利。Upper(楽観予測)は2012年、Lower(悲観予測)は2011年と書かれていた。LTE100Mbpsに比べ、次世代PHSは20Mbps。速度の圧倒的な違いにより、LTEには絶対に勝てない、という前提であった。
次世代PHSには、MIMO(マイモ)という技術が適用できた。MIMOを使えば次世代PHSも100Mbpsが技術的には可能だ。が、実用化はまだ先。2011年には、どうだろうか。次世代PHSをどれほど高速化できるかもUpper/Lowerケースに盛り込まれた。通信速度こそが勝敗の要。
「我々は、早急にマイモを実用化すべきです!」
スズキ氏は言い放った。次世代PHSの高速化ができなければ、2011年以降の加入者増の予想グラフラインも墜落している。事業として成立しない。シモム氏に教えられるまで、スズキ氏はMIMOを知らなかったが、とにかくマイモです! と言い切った。
技術の優劣だけで市場の勝敗が決まるわけではない。
しかし技術屋だったシモム氏は、技術唯一主義の考え方に賛同していた。
スズキ氏にしてみれば、技術次第と断定することによって、多角的な検討をする手間が省け、責任もクライアント側へ押しつけられる一石二鳥に過ぎなかったのだが…
また、次世代PHS事業の成否がMIMO次第であれば、その責任はシモム氏からも離れ、ウィルコムの技術開発陣へと移っていく。バキンゼの意見という大義名分もある。LTE開始が2011年中という極秘情報も得た。Mtgが進んだ。シモム氏は、久々に明るくなって上司のテラダ氏へ報告した。
LTEが2011年? 根拠は? バキンゼがそう言ってる? 根拠も聞かず鵜呑みにするな! 馬鹿かてめえは? それにMIMOだけじゃねーだろ。仕事しろよ。却下!
…シモム氏の顔はひきつった。
テラダ氏は、嫌いな案件に容赦ない。その厳しさを自分自身へ向ければもっと普通の仕事ができただろうに…
牛歩混迷の戦略プラン作り。最低限の成果すら出せないまま、ウィルコムは、バキンゼとの契約を延長せざるを得なかった。
ドブに捨てたも同然の契約料。
さらに再び高額のコンサル料を、バキンゼに支払った…
■ 次推室の新メンバ
ゴールデンウィークが過ぎしばらくすると、次推室に5名もの新メンバが加わった。2008年度新入社員のツヅキ氏とタケミ氏。タケミ氏は次推室初の女性。入社三年目のココムラ氏。30代半ばのマシタ氏とタソモト氏。
マシタ氏とタソモト氏は、社内でなく、NTTグループからやって来た。マシタ氏は携帯電話事業の立上げ経験をもつ転職組。タソモト氏は、官公庁への出向経験をもつ経営企画マンで、ウィルコムへも出向で来ていた。
NTTグループに限らず、ある種の企業には、他社との政治的交流のために使われる人材がいる。条件は高学歴で事務仕事に強く無害であること。タソモト氏は、自ら望んだわけではなかったが、その役目が嫌いではなかった。
NTTグループはよく「役所的」「官僚的」と言われるが、実際、役所よりひどい硬直の体質だ。官公庁へ出向した時、タソモト氏は思った。今の時代は、官公庁の方がよっぽど開けている。帰国子女のタソモトはおとなしい性分ながらも理不尽な窮屈に呆れ、NTT社内より外の会社を好んでいた。
タソモト氏がウィルコムへ出向した理由。
この頃、キクガワ社長はNTTグループからの出資、資金援助の画策を始めていた。その一環であることは承知していたが、NTTからスパイを頼まれたわけでもなく、いつもどおり単なる政治的人質に過ぎない、とタソモト氏は割り切っていた。
NTTグループ各社同士は複雑な関係にあり、PHS事業から撤退した歴史がありながら、PHSへ興味を示す様子の会社もあった。同じくNTTグループ出身のマシタ氏によれば、PHS事業の再開は「本気のわけがない」ということだったが、これから長い間、ウィルコムは出資を期待し続けることになる。
ウィルコムは、NTTグループ(NTTG)の複雑なパワーバランスの隙間に何とかこっそり入り込もうと考えた。NTTGは、そんなウィルコムを体よく使い、リスクを押しつけて仕事をしようと考えた。新たな共同事業など企画してくれればご協力の可能性も高まりますよ、と。
トップ交渉が難航するなら、現場レベルで共同事業を企画→ボトムアップして出資の可能性を探る2ウェイ。しかし、市場論理より政治が優先されがちな通信キャリア業界で、しかも大企業間の出資可否を、ボトムアップで実現しようとは、あまりに曲芸的な試みだった…
■ 叫び、混迷、建前、何だこりゃ?
後からは何とでも言える。他にどんな方歩があった? とキクガワ氏は言うかもしれない。
KDDIと犬猿の仲、ソフトバンクとイーモバは嫌だ、こっち(ウィルコム)のプライドが許さない。
NTTGしか交渉相手がいないのだ。トップ交渉で話がつけばいいが、ダメならあらゆる手を模索するしかない。
トップ交渉で話をつけられれば… もしウィルコムのトップが孫さんだったら。ないものねだり。
孫さーーーーーん!! ああ… 孫さーーーーーん!!! (ウィルコム中堅若手社員+名ばかり課長一同の叫び)
基地局用地と2.5GHz帯の電波だけなんていわず、全部もってってくれれば良かったのに!! タダでいいから!!!
ウィルコム社員達は、孫氏の手腕に脱帽していた。これがビジネス… ヌルさ甘さのない世界… これほど戦略的、ロジカル的に、徹底的に切り刻まれながら、目の覚めるような痺れと、圧倒的な何か。すごすぎる。ウィルコムはすっかりドM体質にさせられてしまった。ああ… 孫さん!!!
NTTGは役所より役所的というタソモト氏の意見に、マシタ氏も頷く。マシタ氏はNTTG時代にPHSやFOMA回線を使ったコンテンツ配信事業の経験があった。が、インフラ屋(土管屋)は基本的にサービス作りに向かない。iモードは特殊な環境と中心メンバの覚悟から生まれた例外だった。
回線を使わせてあげているという土管屋的高慢。使いにくい条件を設けながら「オープンに使える環境」という身勝手勘違い。それに、リッチコンテンツ配信に3G程度の速度ではやはり厳しい。しかしBWAであれば、大容量の配信サービスができそうだとマシタ氏は次世代PHSに期待していた。
かつて24時間通話無料の実現で業界タブーを打ち破ったウィルコム。万年業界4位で前進するしかないはずのウィルコムなら、NTTGのような天狗ゆえの社内問題もないだろう、とマシタ氏は思った。
だが、ウィルコムはNTTGとは別の意味で、根深い親方日の丸病を患い、混迷を深めていた…
いざとなれば、国が助けてくれる。「京都の神」が助けてくれる。これまでもそうだった。PHSは貴重な国産技術。人体にやさしい。何をしても(しなくても)許してくれるウィルコム贔屓のユーザーたち。経営哲学は「楽勝」。稲盛フィロソフィ? まあ、そういうのも建前では存在するけどね…
タソモト氏とマシタ氏は、バキンゼMtgに参加した。
異様な雰囲気。シモム室長とバキンゼのスズキ氏にしか発言権がないかのよう。
資料も、何だこりゃ? なんで英語?
(2010年3月27日〜29日分まで掲載)