予告された倒産の記録 その11

■ BWAUC(ブワウク)


 キクガワ氏より年上の電王堂タナカ氏も、自分の定年後、もしくは早期退職して次に移れる居場所作りに、強い関心を抱いていた。
 事業化を前提とした研究会の発足。
 資金は研究会の参加企業が出してくれる。こりゃあ、自分も1枚噛まない手はない


 2008年7月下旬、「BWAユビキタスカメラネットワーク研究会」(通称BWAUC)が設立された。産学連携の形をとるため、研究会会長に大学教授、専務理事にウィルコム取締役兼サービス開発本部長のクロサワ氏を据えた。クロサワ氏にとっては、またも苦手なロビー活動系の役職だった。

「クロサワさんはいてくれるだけで結構です」とアサバラ氏。BWAUCの事務局長を名乗っていたが、キクガワ社長から直にこの仕事を頼まれたきっかけは、4月の次推室キックオフ、例の高級寿司宴会まで溯る…


 アサバラ氏は日頃から強いコンプレックスを抱えていた。女にもてないのは顔と体型のせい。根暗な性格。勝ち組になるには仕事で成功するしかない。が、アピールは苦手。チャンスにも恵まれない。このままじゃ駄目だ。ビジネススクールへ行き有名企業のウィルコムへ入った。自分は変わらなきゃいけない。

 アピールしないと! 過去に、監視カメラ販売の営業経験があることを酒席でキクガワ社長へ話した。3年間で1台も売れなかったことは伏せて。それがキクガワ氏の頭に残った。いかにも不器用で愚直そうで、虚栄心が強く何でも言うことを聞きそうな、事務仕事ができる奴。キクガワ氏が好むタイプだった。

 バキンゼMtgの仕事の傍ら、研究会立上げの話を受けたとき、アサハラ氏は嬉しい半面、不安になった。未経験の仕事。構想も大きい話。自分にはスキルがない。
「お前一人じゃできんだろ」 見抜いていたキクガワ氏は、電王堂タナカ氏とコンサルのクロマロ氏をサポートにつけた。「お前は事務局長をやれ」

 事務局長……! 
 甘味な、響きだった。偉くなったような気がした。さらに、新入社員の部下(女性!)までつけてくれた。やはり、分かる人には分かるのだ、俺の価値が。そんな考えが急にアサバラ氏の頭を支配した。絶対に掴むべきチャンス。どんな小さなミスもしないことを自分に強く言い聞かせた…


 キクガワ氏は愚直な部下を好んだ。愚直な人間こそ良い仕事をし、他人を騙さない。
 しかし、「愚直そう」に見えた人々は、社長の立場が傾きだすと離れていった。キクガワ氏をけなす者もいた。
 彼らは、自らの出世と保身根性に対してのみ正直だったのだ。仕事や人に対してではなく。
 当然に、志もなかった。


 経営者として、人を見る目がなかった。それだけのことだが。


 経営者として、最低限のモラルさえ守れなかったから、人が離れた。それだけのことでもあるが。


 薄情な部下だと経営者は言い、最低の経営者だと部下は言う。どっちが悪いか? そりゃあ経営者だ。社会的責任が重い。一般人より高いモラルが求められるから、報酬も高い。それが経営者というもの。



 アサバラ氏の部下は、たぶん男の方がいいと、シモム室長は漠然と思った。が、キクガワ社長は、女性のタケミ氏を指名した。タケミ氏は、もともとウィルコムユーザーの地方のオフ会で社長と知り合い、そのつてで入社したという異例の新入社員だ。

「アサバラさん、大分いろいろと鼻息荒いようですが、大丈夫ですかね?」 サロ氏が、ぼそっと、言った。
「まあ、社長が決めたことだ。俺には関係ないよ」 シモム氏はこたえた。



【言葉】組織は人間から成るものであるがゆえに、完全を期すことは不可能である。したがって、完全ならざるものを機能させることが必要となる。−−ピーター・ドラッカー
 
 人は誰もが個人的な問題を抱えながら働いている。
 組織の問題は、上から下へ流れ、最も立場の弱い社員を圧迫しやすい。
 新人が潰れたからといって、判で押したように当事者の個人的な問題として片付ける会社は、ありがちだが悪。


 アサハラ氏の下で、タケミ氏は耐えた。
 数カ月もしないうちに、2人の様子が異様だと、次推室メンバは気づいた。
 が、表立って話題にするのは憚られた。
 シモム室長は素知らぬふりをしていたが、事態は悪化し、約1年後にタケミ氏は、長期休暇に入った。
 人事部は、タケミ氏の社会適応力の問題として、片づけた。



 産学連携研究会「BWAUC」は、安心安全社会実現のため町中にカメラを置く。映像データを無線で管理センタへ送る。その無線に次世代PHSを使う。いきなり町中設置は難しいので、ひとまずPHS基地局にカメラを取り付けよう、というもの。

 ついでに、カメラだけでなく、各種センサも付ければ天候環境情報の収集や災害対策になる。基地局は全国に16万台もある。価値ある情報が取れる。

 監視社会になる? ウム、微妙なモンダイだ。大学のセンセイを盾にして対抗しよう。個人情報関連で有名で、かつ企業の論理に配慮してくれそうな教授はいないか?

 あと、有名なジャーナリストとか。そこは、研究会のハクになる部分だから、ある程度の依頼費はやむをえまい。…ん? 人は見つかったが、あまりこちら側に有利な意見を言ってくれる人ではない? あくまでもニュートラル、アカデミック。…まあ、他に見つからなければその人に頼むしかあるまい。

 BWAUCの理事会メンバ及び参加企業探しは、ウィルコムの取引関係だけでなく、カーライルのつて、郵政省出身のトノシタ会長の人脈、取締役最高顧問に稲盛和夫の名前がある信用と威光が使われた。

 それでいて、BWAUCの存在は、社内でほとんど認識されなかった。キクガワ社長がこそこそやっているもの。ああ、あれ、社長の天下りって聞いたけど? という認識はあった。

 数十社の企業が参加した。年会費は理事会員50万、法人会員30万円。


 BWAUCの預金通帳を見て、アサバラ氏はにやけた。
 俺の予算! 自由に使える金!!(違うけど)
 事務局長の肩書も得た☆! BWAUC用の名刺も作った☆! メディアの取材にも出た☆! 

 BWAUCの志? そりゃ社長の天下り… いやアンシンアンゼンシャカイノジツゲン、デス。
 プライバシーの侵害? ええ、そのために有識者の方々と定例Mtgでルール作りの提案を、検討シテイマス。


 BWAUCの計画。
 『STEP1』BWAUCに有利なプライバシー・ルール作り(有識者のお墨付き)
 『STEP2』技術実験。
 『STEP3』事業化。会社化。


 しかし、『STEP1』の最初でつまづいた。
 BWAUCのMtgで、有識者ウィルコムの耳にやさしいことを言ってくれなかったためである。


(2010年4月1日〜2日分まで掲載)