予告された倒産の記録 その12
■ BWAUC その2
BWAUCのMtgの司会はコンサルのクロマロ氏が担当した。
アサバラ氏は事務局長の面目を保つためクロマロ氏の隣に座る。自分がクロマロ氏を使っているといわんばかりにふんぞり返って。
最初に紹介された時のクロマロ氏は、腰が低く、始終笑顔で、アサバラ氏の言うことを何でもやった。途中から、あまりやらなくなった。他の仕事が忙しいと言って。資料作りなんかは社員がやればいいんじゃないの? と言われている感じもした。
雇われの身で何を! とアサバラ氏は思ったが、あるとき、クロマロ氏の携帯の着信記録を見せられた。IT業界の大物の名前があった。「今この人と仕事してるんですよ。プレッシャーきつくて大変です」。しょうがないので、アサバラ氏は資料作りを新人のタケミ氏へ押しつけた。
クロマロ氏は、有識者に対し、口調こそ丁寧だが、内容は結論ありきで、Mtgを誘導しようとするものだった。
そこを大学教授が批判し、クロマロ氏の意見は論理展開以前に事実認識が幼稚だと指摘した。クロマロ氏の慇懃無礼な態度が癇に障ったのかもしれない。
クロマロ氏は一瞬詰まった後、さらに馬鹿丁寧に、もってまわった、意味不明の言葉を並べたてた。顔は紅潮していたが、平静を装い、まるで公家のように振舞った。プライバシー問題は難しい。本気で議論になれば、結論など出るはずがない。
ちょうど、グーグルのストリートビューが登場し、プライバシーをめぐる問題で世間を騒がせていた。
ところで、BWAUCは「ブワウク」と呼ばれていた。
アサバラ氏はその呼び方を嫌い、1人で「BWAユビキ」とか呼んでいた。だって「ブワウク」は「ブサイク」に似てるし、「ブワ」は何か膨張している感じで自分の体型を言われているみたい。ブワウクの事務局長、じゃ格好良くない。
ブワウク(BWAUC)Mtgは停滞した。プライバシー保護のルール作り。デキレースに持ち込むはずが失敗した。
有識者たちを真正面にして、正攻法でクロマロ氏にできることはなかった。
いちおう、根回しもしたんだけどなあ… クロマロ氏は思った。大学教授に裏切られた気分だった。ストリートビューが世間を騒がせすぎたせい?
アサバラ氏は、バキンゼMtgが停滞していたので、ブワウクの方へ集中できるようになっていた。ところが、ブワウクMtgも停滞。あっちもこっちも形骸化したMtgばかり。いやいや、こういう形式的な儀式的なことが大事なのかもしれないぞ。
ウィルコムの仕事が「役所的」「官僚的」と言われるのは、形や枠だけ作って中身なし、を繰り返しているからだ。ハコモノ行政にも似ている。
ずっと業界4位なのに、そういう組織体質。ある意味では、NTTGよりタチが悪いかもしれない。自分たちは出自がいい。毛並みがいい。品がある。だから(どんなに業績悪くても)大丈夫、という思い込み。国の許認可事業である通信キャリアとしてのプライドの勘違い。
かつては、W-SIMのコンソーシアムがそうだった。独自規格のW-SIMを作ったので、メーカーに対応端末を増やしてもらいたい。にもかかわらず、技術仕様開示にはコンソーシアムの入会が必要(年会費35万円)。結果、協力メーカーが増えず、形骸化した。
ウィルコム、任意団体というハコモノを作るまでは得意。
参加企業等を呆れさせ、信頼を失い、未来の幅を狭くすることはもっと得意。
通信業界未経験のアサバラ氏は、業界知識、技術知識の不足を最初は勉強で補おうとしたが、到底やってられないことに気づいた。クロマロ氏が資料作りをしなくなったのは、困った。自分では作れないからだ。
といって電王堂のタナカ氏は実務に一切入ってこなかった。年上なのでこちらからも言いづらい。ただタナカ氏はアニメに詳しく、そこがアサバラ氏と意気投合した。攻殻機動隊やパトレイバー、うる星やつらの話題で盛り上がった。
そうだ、資料作りは新人のタケミにやらせよう☆
(緊急プチ企画)
☆☆☆ アサバラ氏の婚活じめじめ大作戦(パワハラ&セクハラ入り) ☆☆☆
資料作りは新人のタケミにやらせよう。俺にわからないことを質問されたら、他の奴に聞けと指示すればいい。
新人はプレッシャーを与えられて育つものだ。社会の厳しさを、まずは教えてやろう。
厳しく接し、時にやさしく。アメとムチ。新人はそういう上司を尊敬するはずだ。
そして、その尊敬はやがて… 厳しくされればされるほどやがて…
尊敬以上のものに、変わる。
に違いない。ひょっとしたら。いやいや期待しすぎるな。しかしそうなったら、タケミか… まあ、それほど好みってわけじゃないが、悪くはないかな。俺もいい歳だし、そんなに贅沢いってられる立場じゃないしな。
傍から見ても、アサバラ氏の態度は二重人格者のようだった。
タケミ氏に対し、ヒステリックに怒鳴り、猫なで声を出し、突き放し、趣味の話を聞き出して合わせようとしたり。
厳しいだけで中身なく、声はやさしいが目は必死。
…そんな奇怪な職場環境が、田舎から東京へ出てきたタケミ氏を襲った、試練だった。
しばらくして、アサバラ氏は、何を思ったか、タケミは資料一つまともに作れない、使えない奴だと、シモム室長へ言いだした。停滞気味なブワウクの責任転嫁をしたかったのかもしれない。シモム氏も、何を思ったか、入社三年目のココムラ氏にも、ブワウクを手伝うよう指示した。
が、タケミ氏は、ブワウクから外れなかった。このとき外しておけば良かった。彼女をブワウクから外すには、キクガワ社長に話さざるを得ず、当然に理由を訊かれる。シモム氏は、蓋をして黙っておきたいと考えた。だって大したことじゃないだろ。よく分からないけど。
もう一人の新入社員ツヅキ氏は、ウミナガ氏が担当した。帰国子女のツヅキ氏は英語が堪能のため、ウミナガ氏と共に海外展示会の企画・アテンドを行い、入社早々、海外出張したり、充実した日々を過ごしていた。
■ 最後の新メンバ、初夏
夏には、また新たに6名が次推室メンバに加わっていた。総勢17名になった。しかし、これ以降は、減り続ける一方となる。
新メンバ6名のうち1名は、関西に妻子を残し、3年の約束で単身赴任していた。3年過ぎたところで、次推室へ異動の話があった。注目の新事業である。興味あって来たが、事業も部署も変にややこしく面倒くさそうな感じだった。それで社長に直談判し、当初の約束どおり妻子の待つ関西へ帰った。
他の1名は、しばらくして、MVNO担当の課長と共に、経営企画部へ異動した。いよいよ苦しくなって来た資金繰りのための稼働人員になるのだと、一部の社員は噂した。
あとの新メンバ4名。
サイジ氏(課長級)。30代半ば。CS(カスタマサポート)部出身。新卒入社組。
タヌダ氏。30代前半。システム部出身。新卒入社組。
ナガラ氏。40代前半。法人営業部出身。新卒入社組。
ヒレバ氏(課長級)。40才。前職SIコンサル。転職で来た。
サイジ氏とタヌダ氏は「サービス企画担当」として、次世代PHSの運用業務に関する社内整備を行うことになった。ナガラ氏とヒレバ氏は「MVNOパートナー開拓担当」になった。
次推室の飲み会が催された。
従来メンバも、新メンバも、会社の将来を担う次世代PHS「WILLCOM CORE」に期待を持っていた。
やるぞ! それぞれが、それぞれの思いを抱き、やる気に満ちていた…
「ウィルコムコアの成功を期して、乾杯!!」
初夏のある日。キクガワ社長の頭の中は、資金繰りの悩みで、外の気温より熱くたぎっていた。1本の電話が入った。
「社長、ドコモの新社長が就任のご挨拶に伺いたいそうです」
(ああ、そうか。ドコモは社長が変わったんだっけな…)
NTTGとの出資交渉も、先が見えない状態だった。
「いかがしましょうか?」
「そうだな…」
(ドコモ様がわざわざご挨拶に来てくれるとは…) そのとき、キクガワ氏はひらめいた。待てよ、これは直接交渉のチャンスか。
「いや、俺が行く」
「え?」
「こっちに来てもらうのではなく俺がドコモへ行く。こちらからそちらへ挨拶に伺うと伝えてくれ!」
ウィルコムが、ドコモのMVNOになる。水面下の交渉が、始まった。
(2010年4月2日〜4日分まで掲載)