予告された倒産の記録 その15
■ 宙づり放置プレイ
ウィルコムの前身会社であるDDIポケットは90年代半ばに新卒採用を始めた。
サイジ氏は新卒入社1期生。サイジ氏より入社年次の早いシモム室長も新卒入社組だが、DDIポケットが分社する前のDDIへ入り、そこから移ってきた。
サイジ氏は、周囲から将来の幹部候補と見られていた。親戚筋にウィルコムの上級管理職がおり、その上級管理職も役員に出世していたためである。
縁故は諸刃の剣。身の処し方を誤れば、ネタミソネミヒガミヤッカミの渦に巻き込まれ、陰で無能の烙印を押されてしまう。
しかし、サイジ氏はそうならなかった。
なぜか? サイジ氏は安定した事務仕事スキルを持ち、でしゃばらず、酒のつきあいよく、下ネタ好き☆
しかしそれ以上に、仕事の進め方において「情報共有」と「フェアネス」の姿勢があった。
次推室へ異動したサイジ氏は、次世代PHSの業務フローに関する社内整備の担当となった。彼は早速、関連部署の中堅社員に声をかけた。
大会議室に、人がわんさかと集まった。
それまで次世代PHSの進捗は、本社内でさえ、情報伝達のどん詰まり状態。いくらナローバンドのPHS会社だからといって、社内の情報伝達速度までPHS並みにしなくてもいいだろうに。
過度の情報不足は疑心暗鬼を生む。隠してんじゃないか? 実際、隠していた。なぜなら、まだ何も決まってないから。ドタバタを社内に晒したくない。というシモム室長の見栄。しかし隠すかぎり、やはり何も決まらない状態がつづく。
キクガワ社長が怒った。シモム氏は、事務系部署に顔のきく人材が次推室にいない、と言った。確かにそのとおりだが、もっと早く言うべきだった。事業立上げの推進室長なのに、言われるまで何もしない。それでとにかく、サイジ氏が呼ばれた。
次世代PHS? どっかで勝手にやってるんでしょ、わたしゃ知らんよ、という風潮が事務系部署にできつつある一方、会社の将来を担う事業に、皆、関心ないわけがなかった。そこをむやみに放置すると、いざというときの社内調整に重大な悪影響を及ぼす。
人がわんさか集まった大会議室で、サイジ氏は次世代PHSの進捗を正直に話した。業務フローを作るにあたり、必須の前提の何が決まってないか示した。あまりの停滞ぶりに誰もが呆れ返ったが、会議が終了する頃には、皆で協力してこれから動き出すのだ、という雰囲気になった。
次推室の新メンバの1人で、サイジ氏の技術サポート役になったタヌダ氏(システム部出身)は、噂に聞いたサイジ氏の仕事ぶりを目の当りにした。おそらくうまくいっている他社では当然の情報共有だし、会議の様子だろう。けれどウィルコムでは珍しい。出席者らの協力的な雰囲気に感じるものさえあった。
中堅若手社員は、本当は、もっと違ったふうに仕事をしたいと思っている。給与査定と人事権の恐怖さえなければ、もっと上司に進言し、まっとうな仕事の進め方をしたい。
そうした渇望の穴を、現実には、サラリーマンの無力感でしかたなく埋めてしまっている。
例外なくサイジ氏も、そのしがらみの中にいるはずだ。しかし、とタヌダ氏は思った。サイジさんには少し違う一面がある。そう思いたい。
タヌダ氏もまた、次世代PHS事業に密かな期待を寄せ、社風に翻弄されず、まっとうな成果を出したいと思っていた。
現行PHSの音声と次世代PHSのデータ通信を合わせた、デュアル端末のスマートフォン。
契約の扱い、申込みから社内運用をどうするか。前例がないし、へたにやれば複雑化して混乱するのは目に見えた。
業務フロー構築の最大の課題であり、かつ最初に手をつけなければならない。
デュアル・スマートフォンはいつ出るんです? サイジ氏はシモム室長へ尋ねた。
「次世代PHSの本格サービス開始から、半年後の2010年春」
シモム氏はつけ加えた「…と、いうことになってる」
サイジ 「はあ」
シモム 「まあ、業務フローは決めて損はないからやっておいてくれ」
2010年春ということは、約1年半後。余裕あるようだが、ウィルコムは何につけ時間を浪費しがちだ。余裕なしと考えて、サイジ氏とタヌダ氏は毎日のように終電近くまでMtgの資料作りに没頭した。
次世代PHSはSIMカードを採用した。他キャリアでは3Gの規格のためメジャーだが、ウィルコムではSIMカードを見たことない技術者も少なくなかった。
にわかには信じ難いことだったが、ある技術系Mtgでは「SIM」という言葉で、「W-SIM」と同程度の大きさのカードを皆が思い浮かべたため話がこんがらかった。それで「SIMカード」でなく「SIMチップ」と言ったり、「USIM」と呼んで、W-SIMと区別した。コレ、笑い話。
業務フロー構築の仕事だったが、サイジ氏とタヌダ氏が直面したのは、そんな世間ズレした社内状況だった。が、自分の認識も似たもの。まるで戦後の焼け野原に立たされたような気分だった。
デュアル・スマートフォンには、現行PHS用のW-SIMと、次世代PHS用のUSIMの両方を差し込む。専用の料金設定をするので、それらを別々の端末で使われると困る。それらが一つの端末で一緒に使われていることをどのように認識し、どのように契約者情報と結びつけるか?
デュアル端末の契約は1つにするか、それとも現行と次世代を別々に2つとしてカウントするか。申込書のフォーマットは? 物流の仕組み、番号払い出しの方法は? システム上の管理方法は?
何も決まってないため、あらゆるケースを想定して案を資料化する。膨大な労力と時間を要した。いくらやっても終りなき細かい作業。次第に、事務系Mtgの出席者たちも、似たような絵柄の資料の山にうんざり、「もういい。そっちで決めてくれればそのとおりやるよ!」と言いだした。
サイジ氏はシモム室長へ現状を伝えた。Mtgを踏まえた推薦案も出した。すると、スマートフォン絡みなので、テラダ副本部長へ話すよう指示された。テラダ氏へ同様の話をした。
が、何も決まらず、 宙づり。
他のあらゆる業務フロー構築についても、そんな調子だった。何も決まらない、決められない。たとえ上司が決めなくても、ボトムアップで効果的なことはできないかと、サイジ氏は考えた。これまでも色々試した。今回に限らず、長年の悩みだが、答えは未だ見つかっていない…
業務運用・CS分野一筋だったサイジ氏は、慣れない環境に振り回されていた。
シモム室長は、サイジ氏に、次世代PHSのPR方法も検討するよう指示した。ウミナガ氏の担当だったが、着実な仕事が苦手なウミナガ氏を、それとなくサイジ氏に監督させるためだ。
さらに、次世代PHSを活用したサービス作りも検討するよう指示した。電子新聞の件でテラダ氏から直接指示を受けたマシタ氏をそれとなく監督させるためだ。
シモム氏は、面倒なこと、後で責任云々を言われそうなことは、何でもかんでもサイジ氏に指示した。
経営陣や上級管理職から「あの件はどうした?」と訊かれたときに、「サイジに指示してあります」と言えば、「そうか…」となることがよくあったからだ。www
サイジ氏は、業務フロー構築の仕事で手一杯なので、他の件は放っておこうと思った。メインの担当者が別にいるし、シモム氏の態度をみればどういう類の指示なのかくらい、見分けがついた。
次世代PHSのPRは、5月にサービスブランドネーム「WILLCOM CORE」を公式発表して以来、放置されていた。
PR戦略がないのに、ブランドネームの発表時期が早すぎると言ってバキンゼMtgを外されたマシタ氏は、次世代PHSのPR・ブランディング戦略を作ろうと、ウミナガ氏へ持ちかけた。
その動きを知ったとき、サイジ氏は良いことだと思った。ブランディングの主幹であるB&P部のイシヤマ部長や担当者とのMtgを設けた。Mtgでマシタ氏とウミナガ氏は、電王堂におんぶにだっこの現状を見直し、多様なメディアを効果的に使った手法を検討してもいいのではないか、と話した。
テレビや紙媒体メディアの広告費は、効果が曖昧ながら高額だ。費用対効果の検証をB&P部の担当者は「電王堂」の看板でごまかしてきた。楽だからだ。キクガワ社長と懇意の電王堂タナカ氏の存在もある。ウィルコムにずっと親身になってくれるタナカ氏を裏切るなんてできない。
人や情を大切にする。
創業者の理念、稲盛フィロソフィの信条だが、ウィルコムではしばしば誤解されていた。
やるべきことをやらず、高額なコスト垂れ流しを正当化するための方便に使われた。
そうした風潮は、結局のところ尊い人情を小馬鹿にし、価値を下げる行為に等しかった。
B&P部のイシヤマ氏曰く、次世代PHSのブランディング戦略も(時期は未定だが)これからB&P部が電王堂と作っていく予定。具体化のときは次推室の人もMtgに入ってもらいたい…
しかし、実現しなかった。秋に、全社的なコスト削減方針が出され、高額な広告費はまっ先にカットされたのである。
2008年9月、海の向こうで、世界的な金融危機を招いた、リーマンショックが勃発。
キクガワ社長は、それまで隠してきた財務状況の一部を、社内にディスクローズした。
全社的なコスト削減施策を打ち出す、絶好の機会だった。
(2010年4月10日〜12日分まで掲載)