予告された倒産の記録 その29

■ 前向きな信条の欠如


 2008年12月中旬。
 大手新聞社系列の産京デジタル社が、iPhone/iPod touch向けの無料アプリを公開し、電子新聞サービスを開始した。

【会社説明】「産京新聞/産京デジタル社」……大手メディアコングロマリットの新聞事業。全国紙の中で、新聞記事のデジタル化に最も実験的に試み、注力している。


 産京デジタル社は、以前より、パソコン向けに電子新聞サービスを行っていた。新聞を丸ごとPDF化し、紙の新聞のテイストを残しながらズームで記事を読めるようにしたものだ。

 そのサービスのiPhone版がリリースされる話を聞きつけたマシタ氏は、産京デジタル社とソフトウェア会社へコンタクトし、ウィルコムのD4端末向けにもできるかどうか話し合っていた。


 なぜまったく売れてないD4向けなのかと言えば、ウィルコム端末の中で最も画面サイズが大きい(03ではあまりに読みづらい)、話題性のある電子新聞サービスをPRできれば多少とも販売促進効果があるのではないか、他の新聞社と共同事業の話がしやすくなる、 といった理由だった。


 クソミソのD4だが、価格の問題を解決できれば、バスやタクシー内でのデジタルサイネージ端末として興味を示す新聞社がいくつかあったのだ。ウィンドウズビスタをXPに変え、その他いろいろカスタマイズで操作性を上げられれば… モノは使いよう、というやつだ。

 交渉の末、産京デジタル社からコンテンツ提供の快諾を得た。ソフトウェア会社は、ウィルコムの取引先でもあったため、D4向け開発費用を折半し、ウィルコムの負担分は300万円でどうか、となった。

 マシタ氏がツミオ氏へ相談すると、300万という数字に難色を示した。さらに交渉し、100万円になった。再度ツミオ氏へ話すと、D4はデータ通信企画室の担当のため、いったんそちらへ預けることに。 こりゃダメだな、とマシタ氏は思った。が、それ以上どうしようもなかった。


 金がない組織の弊害は多々あるが、その1つに「金がない」本音を理由にしたがらない心理がある。
 他の妙な理由をこさえて却下する。権限の問題。利益の確実性の問題。いつまでにいくら儲かるんだ? の問いに、○○までにXX円です! と断言できなければ却下。断言すると、根拠は? となり、根拠を示すと、これは根拠じゃない、俺は根拠と思わない、となり、ではどんな根拠が必要か、と尋ねても答えなく、ムリだな、となる。テラダ氏とマシタ氏のやりとり。
 マシタ氏が「私がツミオさんと相談して、予算の都合がついたらいかがですか」と訊く。テラダ氏「………」


 ツミオ氏はテラダ氏ほどひねくれていない。「金がない」が理由だと言う。本当に必要であれば他部門から持ってくることはできないこともない。
 但し、それにはテラダ副本部長の許可が必要。予算の都合がつけばテラダ氏は許可すると言っても、そうなるとツミオ氏は動かない。指示があって、動くべきでしょ。

 予算の都合つけろって指示されたわけじゃないでしょ。それで動くのって、反抗してる風に見られないかなあ。自分から動いて何かするなんて… テラダさんに提案するなんて、ちょっと考えられないよ



 iPhoneの産京新聞アプリは公開直後から爆発的なダウンロード数を稼ぎ出し、ソフトバンクのサーバーを逼迫させるほどの勢いで、大きな反響を呼んだ。
 しかしそれでも、ウィルコム社内では貧乏ケチの組織どん詰まり意味不明のネガティブが溢れ返り、時間ばかり過ぎていった… 



 @DruckerBOT 否定の強調は、明らかに前向きな信条の欠如を補おうとするものである。





■ 手遅れ案件発表会


 クリスマスまであと数日の、AM会議でのこと。
 キクガワ社長は、まったくジョークにもならない腰砕けの、不都合な真実のプレゼントを、受け取るはめになった。

 
 9月下旬に、ロキア社がデータ同期サービスの撤退を発表した。ロキア社のデータ同期サービスをウィルコムスマートフォンは採用していた。
 発表から3ヶ月近く過ぎてようやく、撤退の影響について、担当者からキクガワ社長へ報告がなされた。

 2008年11月末時点の法人ユーザー数、約40社。ウィルコムとしては2009年6月末でサービス終了したい。ユーザーのサービス移管方法について。システム会社との契約について。…課題は多々あったが、それよりも驚いたのは、収支報告について… 


 11月実績で、売上げが約30万円/月。対して、経費が約180万円/月。 
 …ん? …んんんっ? んあ? 
 …直近のひと月で、150万円の赤字だとっ!?


 ウィルコムがデータ同期サービスを開始したのは2007年4月。少しずつユーザーを増やし、先月の赤字が150万円。ということは、最低でも毎月150万以上の赤字を垂れ流したということだ。
 1年8カ月(20カ月)もの間… 150万×20カ月=3000万円…!!!??? 


 データ同期サービスの毎月の赤字について、キクガワ氏は一度も報告を受けたことがなかった。それどころか、現場責任者のテラダ副本部長すら把握していなかった。人件費等のコスト削減を始めた一方で、放置の蛇口からコストがザーザー流れ出ていたわけだ。



 データ同期サービス20カ月間もの赤字垂れ流し放置。なぜそんなことに? 
 理由にならない言いわけは、これ→ 1.システム会社と3年のコミットをしていた。 2.俺のやったことじゃない
 …??? 嫌〜な予感がするけど、どーゆーこと??
 

 …3年間の総支払額2.5億円をシステム会社とコミットしており、未達成の場合は違約金として差額支払いが生じる契約となっております… 


 つまり、サービス開始当初から、最低3年は続ける前提の契約だったため、毎月の収支をチェックして把握することを誰もやらなかった。どうせ、どんな収支状況だろうと、3年は継続する契約になってるんだし、と。 …マジかいな? ノンキというか、ノーテンキというか… 

 たとえ3年継続が前提のサービスでも、日々検証し、状況悪ければ報告共有し、再検討のプロセスが必要。しかし、不都合な真実の箱に入れて蓋をしてしまう社風だと、そんな当たり前のプロセスすらままならない。


 ロキア社の発表から3カ月近くも報告が遅れたのは、これ(毎月の赤字)のせいか…。キクガワ氏は、眉間の皺を深めた。「私はこのことを2カ月前にメディアのニュースで知ったが、今ごろ報告するのはどういうことだ?」 

 現場責任者のテラダ氏は沈黙。取り繕うようにツミオ氏が、えーとそれは、と言い、キクガワ氏と対極の、遠くの席の担当者を見やる。担当者は動かない。が、ツミオ氏のイタい視線を感じてないわけなく、重く、いやらしい雰囲気。キクガワ氏のハゲライトが、担当者をスポット照射する。


 あっっっ!! 


 担当者の近くにいたタソモト氏は、キクガワ氏から目をそらせた。いやな記憶が蘇った。西麻布の小料理屋…。
 見ると、データ同期サービスの担当者は、絞首台に上るかのごとく緩慢な動きで、立ち上がった。「はい。申し訳ございません」とひらべったく言った。

「謝るんじゃなく、なぜそうなったのかと訊いとるんだ」キクガワ氏は、声を荒げないが、うんざりして言う。
「はい…。申し訳ございませんでした」と担当者。余計なことは言わず、馬鹿と思われようと、壊れた機械のように同じ謝罪の言葉を繰り返し、嵐が過ぎるのを待つ。

 だって、これ、俺のせいじゃねーし。ひでーよなー、テラダさん、だんまり決め込んで… まーどーせ、担当なんて怒られ役のソンな立場ですよ…。 
 そんな声が、タソモト氏の耳に聞こえて来そうだ。

 毎月の収支をチェックし上司に報告するのは、担当者の業務だ。しかしウィルコムではそんな当然の業務すら、指示がないとやらない。収支のチェックはしても、赤字なので報告しなかったり。報告しても、問題提起しなかったり。受身の担当者は、指示がないからやらなかったと考える。


 担当者の責任ばかりではない。指示されないことを自主的にやると、組織秩序を乱す奴とレッテルを貼られる。
 視野広く意識高く仕事するには窮屈すぎる社風。
 問題が起きた時に「何で事前に報告しなかったんだ!」と、上司が部下へ責任転嫁するため、わざと放置しているかのよう。
 


 いくら報告しても、上司が動かなければ問題は起きる。「報告した」「聞いてない」の水掛け論は権力行使でいつだって上司の勝ち。
 次第に部下の報告は劣化する。問題は悪化する。口頭のやりとりをまさかいちいち録音するわけにもいくまい。根深くタチ悪い社風である。


 記録になるだろうとメールで報告すると、上司は怒り出す。俺は忙しい、大量のメールが来る、お前のなどいちいち読んでいられない。口頭で報告しろ! 
 …いや、だからそれだと、後で問題が起きた時に「聞いてない」になるでしょう… 部下はそう言いたくてもイエマセン。


 つぶやいていて、やや憂鬱になってきた… せっかく良い天気なのに。…やはり、ウィルコムのむやみやたらな救済は、悪しき社風を後世へ残すことになりはしまいか…



 @DailyDruckerBOT プロにとっての最大の責任は、二五〇〇年前のギリシャの名医、ヒポクラテスの誓いの中にはっきり示されている。「知りながら害をなすな」である。




 本来ならキクガワ氏は、担当者より現場責任者のテラダを問い詰めるべき。が、管理職たちはよってたかって担当者を吊るし上げる。
 そうすれば、現場責任者や経営者の管理責任にひとまずは目を向けなくて済む。あくまで担当者個人のせいであり、組織構造や社風の問題にしなくて済む。

 3年間で総支払額2.5億円のコミット。金額高すぎ。誰がこんな契約を? テラダ氏ではない。経営企画部部長。キクガワ氏のシンパ。そのときのAM会議には出席していなかった。引き継いだのはテラダ氏。でも、だから俺のやったことじゃないというポーズ。うやむや。赤字だけ明確。

 質問に答えず謝るばかりの担当者を、ツチハシ副社長が怒鳴った。
 お前が最初からやっていたサービスだろ! もう少し何とか言ったらどうだ!! 
 担当者は凝り固まったが、言葉はさらにガチガチ。…ハイ…モウシワケゴザイマセン…


 タソモト氏は呆れきって笑いそうになった。サラリーマン気質はここまで人を愚かにするものか。
 見ると、隣のマシタ氏は薄ら笑い。つい先日、たった100万円の電子新聞アプリ開発費を「金がない」で却下されたばかり。
 タソモト氏の視線に気づくと、ガーーーっと吠える真似をした。



 AM会議のその他の議題に、PHSモバイルルータ「どこでもWi-Fi」の進捗状況報告があった。進捗の遅れはメーカー側の技術的問題(PHSのせいではない)。仕入れは6000台を予定。毎月500台さばける売上計画。

 先行発売した競合他社製品の説明→ 機能が違うから住み分け可能。影響なし。向こうは3GでこっちはPHS。さらに充電式。ニーズはある。奪われていない。他社製品の売上状況や市場の反応については報告なし。

 向こうは3GでこっちはPHSエネループもある。無線LAN設定ツールのAOSSも。だから大丈夫、と担当のゴリセ氏が力説するほど、場の雰囲気はしらけていった。
 そんな機能いらないんじゃないの? もっとシンプルにさ… 変な機能つけたから仕上げにトラぶってるわけだし…

 が、もうどうにも引き返せない。まるで「手遅れ案件発表会」。
 どこでもWi-Fiは6000台の仕入れに対し、500台/月の販売計画。つまり12カ月間は月間500台販売の商品価値があるという見込み。そりゃおかしいだろ、と、さすがにキクガワ氏は指摘し、見直すことに。



 職場へ戻ると、データ同期サービスの担当者が電話していた。
 …吊るし上げでまいったよ本当に…また胃に穴あいちゃうよ…。
 そもそもが理不尽すぎる職場。彼は数年前にストレスで内臓をやられて以来、どんな仕事の失敗も、自分の責任に感じることを止めたのだった。


 はあ… もうそろそろこの職場もいいかな… ひとまずNTTGに帰ろうかなあ。タソモト氏が思っていると、アサバラ氏の怒鳴り声が聞こえてきた。
 怒鳴られたのはココムラ氏。顔をひきつらせている。

 近くのサイジ氏やタヌダ氏が顔を向けたが、アサバラ氏の癇癪に、またか、という感じ。俺を馬鹿にしてんのか。仕事を舐めるな。というフレーズも毎度。ひとしきり聞いた後、ココムラ氏が「舐めてませんし馬鹿にしてません」と反論すると、それが舐めてんだよ、とさらに怒り出す始末。

 タソモト氏は珍しく割って入った。どうした? とりあえず課題は何? …ならこうすれば。それで解決できる。…うん、じゃあこうしよう。それでOK? アサバラ氏は戸惑いながらタソモト氏と話を進めた。後でココムラ氏から「有難うございました。本当に助かりました」とメールが来た。

「わざわざいーよ」とタソモト氏はメールに書き、「意識を高く持って、先輩社員の良い所だけ真似るようにな」と加えた。


 若い頃にヒドい体験をすると、被害者意識が高じてやっかいな加害者(先輩)になるケースが少なくない。


 タソモト氏が、ウィルコムで、より強く感じたことだった。



@DruckerBOT 自己開発とは、スキルを修得するだけでなく、人間として大きくなることである。うぬぼれやプライドではなく誇りと自信。一度身につけてしまえば失うことのない何か。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。


(2010年5月19日〜22日分まで掲載)