予告された倒産の記録 その1

2010年3月からのツイッターでのツイートを、かねてよりまとめ読みのご要望を頂戴していましたので、こちらに記載することにしました。順次更新していきます!


【※このつぶやきはフィクションです。公共にオープンになっている名称にはモデルの実在の名称を使う場合もありますが、実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。】



 

 数年前……




 それは、KDDIから離れたときに始まった……ウィルコムの耳はロバの耳!!



 KDDIへ復職を求める人々は、ウィルコムから「裏切り者」のレッテルを張られ、窓のない部屋へ集められ、軟禁状態。

 嫌がらせと、会社のデータや資料と隔離するための、軟禁部屋。


 株がKDDIからカーライルへ移り、新社長のヤツルギ氏がやって来た。ヤツルギ氏はその見事な手腕で「24時間通話無料」サービスを実現し、会社に光を照らした。

 現在入社3、4年目あたりの若手社員には、ヤツルギ氏のファンが少なくない。

 某化粧品会社へのシステム売り込みでも、先方曰く「ヤツルギさんの頼みじゃなあ」と、ほぼ一発で採択された。

 しかし、ヤツルギ氏は更迭され、会社を去った。

 なぜ? どうして? そこには創業者であり、ウィルコムの最高名誉顧問である稲盛和夫の影が…


 「ヤツルギさんは、京都の神を怒らせたんだ」それが、ヤツルギ氏更迭の理由だと、社内に噂が流れた。
 京都の神、とは稲盛和夫のことである。

 社員は皆、納得した。どういう理由か知らないが、あの人格者の稲盛さんを怒らせたんじゃあ、しょうがない。何か上の方の人間にしかわからない、相当わるいことをしでかしたんだろう、ヤツルギさんは。

 それに、ヤツルギさんは外資系の出身だしな。稲盛さんは外資系のいわゆる合理主義が嫌いだからな。そこが合わなかったんだろう。


 社員は皆、納得した。ウィルコムでは、稲盛さんを怒らせたのならば、それは十分すぎるほどの更迭の理由になるのだった。

 成果を出していたのに… ヤツルギ氏が実現した「24時間通話無料」はウィルコム15年の歴史の中で、初の、そして唯一の成功事例であった。

 ところが、その成功事例さえも、人気が出すぎたゆえに、営業活動のコストが嵩み、短期的な利益には直結しなかった。当然に、営業面での構造改革が必要だった。しかし、そうした改革をするよりも、改革のための時間を与えられる前に、

 短期的な利益のマイナスについて、ヤツルギ氏は責められた。


 当時、ウィルコムには生え抜きの「三つの頭」と呼ばれる権力者がいた。経営企画本部長のキクガワ、営業本部長のツチハシ、技術本部長のチカ、である。

 この「三つの頭」が、あることないことを、京都の神へ吹き込んだ、それがヤツルギ氏の更迭につながった、という噂が社内に流れた。

 「三つの頭」のうち、キクガワ氏は、ヤツルギ氏の後の社長となり、ツチハシ氏とチカ氏は副社長となった。

 かつてヤツルギ氏と共にウィルコムへやって来た腹心の部下たちは、ヤツルギ氏を追うように会社を去った。

 新社長のキクガワ氏から、従来の半額程度の年収額を提示されるという、嫌がらせを受けたためである。

 ヤツルギ氏更迭は、すべてはこの「三つの頭」の陰謀だったのではないか?
 社員たちはひそひそと話した。

 京都の神、稲盛和夫の名を出せば、ウィルコムではどんなことも肯定される。ヤツルギ氏が稲盛さんを怒らせたというのは、はたして本当のことなのだろうか? 社員たちはひそひそと話した。

 すべては「三つの頭」のでっちあげではないか?
 ヤツルギ氏更迭という権力にまみれた自分たちの振る舞いを肯定するために、「稲盛」の名を利用したのではないか?

 社員たちはひそひそと話した。社内で、自称「ヤツルギ派」は少なからずいたが、それが経営層の耳にでも入ろうものなら、自分の身が危うくなる。そんな圧力的な雰囲気があったのである。

 稲盛さんは実は何も知らされていないのではないか。
 おそらくキクガワ氏あたりから「ヤツルギさんが辞めたいそうです」と言われただけではないのか。
 しかし、一方で、稲盛さんへの信頼が薄くなりつつあるウィルコム

 そもそも最初から信頼なんかしていなかった、が正しいかもしれない。ウィルコムという看板の影で好き勝手なことをやらせてくれる人、しりぬぐいをしてくれる人、くらいにしか思ってなかったか。

 稲盛さんが著書「生き方」を出版した時、「生き方勉強会」なるものがウィルコム社内各部署で催された。社員の感想→どうせ金持ちの理想・ざれ事でしょ。一般庶民には合わないし難しいよね、というのが多数… 

 灯台もと暗し。裕福な家庭で甘やかされつづけた末っ子(ウィルコム)のわがまま。

 京都の神が呆れて見放すのも当然。しかし、それはまだ少し先の話。ヤツルギ氏を更迭して新社長となったキクガワ氏は、総務省をだまくらかして次世代PHSの免許を取得し、次世代事業推進室を設立し、メンバーに高級寿司をごちそうする。

 キクガワ氏の「高級寿司ごちそうによる懐柔戦略」は2ちゃんねるでも話題の定番だが、ウィルコムユーザーだけでなく、社員に対しても行われていた。

 次世代事業推進室とは、次世代PHS事業の立ち上げを使命とするセクションである。このセクションはサービス開発本部の下部組織として設立された。

 通称「次世代PHS」--2.5GHz帯でのBWAサービスは、低迷の続くPHS会社ウィルコムの将来を切り開く画期的事業、とされながらも、社内には懐疑的な見方も… 

 新しいインフラを整備できるだけのお金が、本当にあるのか… 

 社内でも否定され続けていたが、ごく一部の社員には明白であった、ウィルコムの莫大な借金…莫大なだけでなく、極めて条件の悪い借金の約束…

 PHSは黒字? は! 社員は皆、鼻で笑った。総務省さえもだまくらかした経理テクニック。あるいは、総務省も巻き込んだマジック。

 本当はお金がないのではないか。上層部がひたかくしにすればするほど、噂はどろりと社内へ流れでつつも、表向きは「明るい未来の次世代PHSウィルコム!」


 また一方、アンチ次世代PHSの動きが、社内にはあった。
 どうせあんなもの、うまくいくわけがない。今のPHSの方にお金をかけるべきだ。

 そのアンチ次世代PHSグループの旗頭が、サービス開発本部の副本部長TR氏。サービス開発本部は、次世代事業推進室の上部組織であった。

 つまり、次世代事業推進室は、次世代PHS事業の立ち上げを使命としながらも、組織上の目の上のたんこぶ(サービス開発本部副本部長)に、アンチ次世代PHSの上司がいたのである。

 なぜ、TR副本部長は次世代PHS事業を目の敵にしたか?

 それは、TR副本部長の任務範囲が、今のPHS事業であった、という自己保身と利己心のくだらない理由にすぎなかった。これには、少々ややこしい組織上のパワーゲームがある。

※一息つきます。休憩。つづく。

※やっぱり、TR副本部長は、テラダ副本部長(仮名)とします。アルファベットだとわかりづらいので。

 テラダ氏が副本部長を務めるサービス開発本部は、もともと市場のマーケティングを前提にした端末やサービスの開発をしよう!という意図によって作られた組織だった。

 「市場のマーケティングを前提に」というのは、簡単にいえば、従来のようにオタクに走らず、お客様が真に喜ぶモノを提供しよう、という至極まっとうな姿勢のことだ。

【news】ウィルコム、2010年度末までにリストラ最大3割! →4割という噂もあったが…

 結果的に、今更言うまでもないことだが、サービス開発本部は機能しなかった。ウィルコムは従来と変わらず、お客様無視の、身勝手な自己満足の端末・サービスづくりに、コストを費やした。

 willcom03、D4、ウィルコムミーティング、どこでもwi-fi、NS… そして、魅力のないコンテンツの群れ… そこにどれだけのコスト、人件費が投入され続け、ドブに捨てられただろうか。

 ウィルコムにずっと欠けていたもの=『徹底した顧客志向』を実現する名目で作られた「サービス開発本部」は、当初「サービス計画部」「ブランド&プロダクト部」「次世代事業推進室」の3セクションから成り立っていた。

 これはウィルコムの「三つの頭」(キクガワ、ツチハシ、チカ)がその影響力を担保するため、シンパを送り込んだからである。キクガワのシンパは、クロサワ。キクガワと同期入社のクロサワは、ウィルコムの取締役に名を連ねていた。

 クロサワは技術畑ひとすじであり、技術開発にこそ純粋にやりがいを感じていたが、新設されたサービス寄りの「サービス開発本部」の本部長になった。不本意な異動であった。

 営業系の頭であったツチハシ氏のシンパは、イシヤマ氏(仮名)。ブランド&プロダクト部(B&P部)の部長になった。ネットワーク系の頭であったチカ氏のシンパは、前述のテラダ氏。サービス開発本部の副本部長とサービス計画部の部長を兼任した。

 それにしても、お客様第一のサービス作りをするという部署の名前が「(サービス)開発本部」とか「(サービス)計画部」とか、まるで技術系部署の名称付けだ… ウィルコムがいかに頭でっかちの技術偏愛主義だったことがわかる。マーケットを軽んじているというか… 

 サービス開発本部のパワー・バランスのまとめ。
(キクガワ社長シンパの)クロサワ氏は、サービス開発本部本部長。
(ツチハシ副社長シンパの)イシヤマ氏は、B&P部部長。
(チカ副社長シンパの)テラダ氏は、サービス開発本部副本部長兼サービス計画部部長。


「次世代事業推進室」は、その後、サービス開発本部の中に新設された。


 このように、サービス開発本部は、当初から社内の複雑な権力関係を単に象徴したものであり、本部内の連携や一致団結などできるはずもなく、お客様の方を向いて仕事をするなんてことは、望むべくもない組織だった…


はてなダイアリーの使い方を手さぐり勉強中ですが、感想応援ご要望などコメント頂けましたら幸いです。